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2010年 08月 30日

箔押し機

箔押し機大きい方を処分して身軽になれと妻は言うかも   (和歌山市 勝田鉄也)

この歌は30日の朝日歌壇に掲載された。

箔押し機とは書籍の表紙に金箔などの箔を施す機械のことである。
大きい方というのは、卒業アルバムや賞状などの大きな版の機械と言うことであろう。
作者は箔押し屋さんもしくは印刷業を営んでいるのだろう。
製本機や箔押し機を印刷業で行っていた例は多い。
この業界は言うまでもなく寒風が吹きすさんでいる。

この歌で印象深いのは「大きい方」という形容の仕方である。
箔押しも印刷も言うまでもなく不況業種だが大きい箔押しというものも
不景気にともなって象徴的に描かれている。
「大型の箔押し機をまず処分して…」とは「妻」は言わない。
「大きい方」と妻も作者も普段から何となく呼び、無意識に仕事への愛着や
機械そのものへのいたわりが込められている。お互いの心の中では
この先大型の箔の注文はないというのが暗黙の了解事項なのあろう。
いずれ小さい方もご用済みとなることは言わずもがなで二人の間にある
同志としての若い頃への郷愁がにじんでいる。

ちなみに箔押しの値段は最低限の価格でも本とじ製本は仮とじに比べて
1冊200円から250円アップの世界のことである。
その中に、表紙や箔の材料代と箔押しなどの手間賃が含まれる。
1000冊やっても実質的には5万円くらいか。
景気の良い時代に企業の経営者の回顧録などがばんばん注文されたときは
表紙だけで一冊300円の原価に200円を上乗せして営業をした出版社もあるだろうが、
現在では夢の話である。
書物に豪華さや重厚さを与える箔押しも、今となってはもの悲しい響きの漂う言葉になった。

末尾の「言うかも」は「かもしれない」の意ではなく「言うけれどなあ」という
嘆息の余韻の言い回しでありこの歌の情趣を深いものにしている。
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by kotendesky | 2010-08-30 17:37 | 冗舌亭日乗
2010年 08月 17日

光栄なる引用

小樽ジャーナルというサイトがあることは、小樽が好きな人はご存じでしょう。

少し前に筆者が市立美術館の塀のことに関して、山下脩馬さんの文章を紹介したら、
思いもかけず、その記事が関連サイトとして小樽ジャーナルに引用されていました。

小樽美術館の整備のために、ポプラの伐採を含む計画があるとのことで、議論が二分している
ことは知っておりましたが、ここで是非を論じることは筆者には役不足でありますので何とも
申し上げられませんが、独特の景観をつくっているという考えは同じです。

ただ、様々な計画のうちから当事者が選択することにあれこれ部外者が口を挟むことも
礼を失することになりますので、自分の思いを書いてみたことは事実です。

あの木が伐採されるのが時代の流れというのでしたら仕方ありませんが、小樽市民の方々に
保存しようという意志のあるうちは市街地にあるポプラの大木として得難い景観であることは
間違いありません。通りの風情や建物と大木が一体化した現在の景観が文化の雰囲気を
かもし出しているという心地よい「気分」を失うのが少し残念です。

小樽ジャーナル
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by kotendesky | 2010-08-17 01:05 | 最新情報
2010年 08月 09日

伊藤光悦「地平の光景」

2010年7月26日-8月15日  STVエントランスアート(STV北二条ビル1階)


伊藤光悦さんは、夕張市に生まれ栗沢町美流渡(みると)というところで育った。

夕張市本町の北側に国道をたどってゆくと旧万字炭礦、旧美流渡炭礦の跡地に残る町に出る。
かつて筆者は南大夕張という炭礦病院に勤めたことがあり、そのときすでに閉山していた大夕張という町の旧市街を観て歩いたものである。
大夕張を北の方に山道をたどるとこんどは最終的に旧奔別炭礦、旧三笠炭礦さらに芦別に出る。
つまり、この一帯は空知炭田というたいへん大きなテリトリーの一角であるということになる。

伊藤光悦さんは美流渡という山深く美しい町で少年時代を送ったのだろう。
何年か前の道展図録に山川真一さんが美流渡の紅葉は視界のすべてが赤やピンクや黄色あるいは茶色になることを言い、遠くから紅葉を眺めるのとは違うという趣旨で書いておられた。
山川真一さんの数年前の作品を理解する上でこれは大きな要素である。
確かに炭山の晩秋はきわめて近いところにある。
徳丸滋さんも場面は違うが、日勝峠やニセコのそういった自然を別の切り口でもって表現する。


話が少しくそれたが、伊藤光悦さんはしばらく前まで、旧炭礦の施設を多く描いた。
その中に手術室を描いたものがあり、壁の片面が円形の珍しいものがあったが、おそらくそれは
大夕張病院の手術室から材を得たものと思われる。
あの病院は重厚で大きな建物であり、手術室も勤めていた医師などの職員もハイカラでモダンだったという。
そう、昔の大手の炭礦は札幌より文化の度合いが高く、札幌より教育水準が高く、給料も物価も高かったとい
う。小学校の一学年が十何クラスといえば、そこの校長がどれだけの見識を持った人物だったかは容易に
想像できよう。
少し近い例では筑波大学が出来た時のつくば市の変貌を思えばよい。小学生のIQ平均が120弱という
信じられないものだ。

あるいは、集合住宅の「過疎化」。
あるいは、飛行機の飛ばなくなった放棄されたような飛行場の滑走路。
あるいは、砂漠地帯での戦争を彷彿させるような光景。
あるいは、難民を想起させる人物。
あるいは、北方領土の光景。
あるいは、墜落して朽ちかけた飛行機。
あるいは、壊される危うい自然を象徴する鯨。

そういったものを意識して描きそうしてきわめて静かに警鐘を鳴らす。
そのスタートがもしかして巨大な産業であった炭礦というものの終焉を描くことで
人間社会の持っている流転という抗いがたい現実に目を向けてきたのではないだろうか。

こうして伊藤さんの航跡をたどってみると絵という手段でもって描いた現代のルポルタージュではないか
という気がする。
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by kotendesky | 2010-08-09 22:22 | ギャラリー放浪記