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2008年 12月 30日

2008年もお世話になりました

筆者にとって2008年は意義深い年だった。

5月に一線美術会北海道支部展(市民ギャラリー)に出品した。100号2枚、15号1枚。
6月に豊かなくらしをつくる作品展(市民ギャラリー)で部門最高賞の『れんごう北海道賞』を頂いた。
この賞は一般出品者としては賛助出品者(過去3回以上奨励賞受賞者)を飛び越えての
受賞だった。
9月に恒例となった個展(さっしんギャラリー)を開催した。今年は個展が1回だけ。
不在日があったので多くの大切なお客様とお会いできなかったのが残念。
10月に一線美術会展(一線展)の本展(東京都美術館)に入選した。
同じく10月に道展(北海道美術協会展・市民ギャラリー)に入選した。

このほかに2月と6月にこの指とまれ展をそれぞれホテルポールスター札幌と北海道銀行
札幌駅前支店ギャラリーで開催出品。

一年中を絵の制作と作品展示スケジュールに合わせた生活となった。

慢性的な睡眠不足だが、ともかく健康で絵の制作と日常の仕事にあたれたことが幸いした。
絵の方では、大型キャンバスが上手く貼れるようになったことと大型作品を描くペースがつかめたことが収穫。

他にはアンドリュー・ワイエスの絵に触れたことが大きい。
代表作のひとつ『雪まじりの風』(スミソニアン財団)と福島県立に所蔵される『Pine Baron』(=松ぼっくり男爵)を観ることが出来た。
細かな線描や平滑なジェソ下地など、印刷では表現できない部分やドライブラッシュの実際を学んだ。

蔡國華さんと京橋の金井画廊でお会いした。気さくな人柄でますますファンになった。
深い精神性を内包した作品の一端を理解できたような気がした。

みなさまも佳いお年をお迎えくださいませ。

当初『クリスティーナの世界』とあるのは誤りでした同作品は出品されていません訂正しお詫びします
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by kotendesky | 2008-12-30 01:40 | (七転八倒)制作記!
2008年 12月 22日

小樽美術館の分厚い塀のこと

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     国画会会友で全道展会員の山下脩馬さんが、道新後志版などでここ数年に著したコラムがある同人雑誌にまとめて掲載された。
その中で、『小樽美術館の塀について』という興味深い記述があったので紹介しておく。
ご存じの通り、市立小樽美術館の旧手宮線に面する敷地境界にはコンクリートの堅固な分厚い塀がめぐらされている。プラットホームに出入りする木戸口だったと思われる開口部があり窓のようなガラス入りの明かり取りが連なっている。
旧来の日本家屋の塀とは違ったモダンな作りだ。敷地の南東側角にはポプラの古木もあり二、三年前までは高くそびえて独特の景観を作っていた。
山下さんはこう書く。

『…市立美術館は昔からあの地に存在していると思っている人が多いが、そんなに古い建物ではない。あの場所には元々は藤山要吉氏(1851-1938)の邸宅があったのである。
 あの塀もポプラの木も藤山邸の一部であった。昭和25,6年の頃に国に没収され、すぐに邸宅は取り壊され、更地となり、郵政省に引き継がれて貯金局の庁舎が昭和27年建築された。版画家の一原有徳さんがこの庁舎で勤務されていたことはよく知られている。』

     藤山氏は第一次世界大戦前から藤山海運で回船業により財をなし、さらに金融業など幅広い経済活動をしたほか小樽高等商業学校、市立公会堂の設立時に多大な寄付を行い小樽市のためにその他にも多大な寄付貢献をしたとされている。
しかし、第二次大戦で多量の船舶を徴用され戦後の混乱期を乗り切れず程なく倒産した。戦後敷地が没収されたとあるのは、『…おそらく税金をめぐるトラブルがあったのだろう』(山下氏)と思われる。
税金は国税庁の管轄であり没収後の資産は国に移管され国の機関である郵政省の庁舎敷地として転用されたのも戦後の北のウォール街を形成する上で都合の良い場所にあったためであろう。

後年、『貯金局は最上町に新築移転され、残った庁舎は小樽市に引き継がれ市立美術館となった。あの塀とポプラの木の所有者は小樽市となっている。』(同氏)

     国から市に返還された形ではあれ、現在の市立美術館にも記されていないので、藤山氏の邸宅はどのようなものであったかは分からないが、あの塀の高さや厚さ、さらには現在の建物と不釣り合いなほどの堅牢さは外部からの侵入者あるいは機関車の火の粉から邸宅を守るために充分なものだったろう。その意味で来歴とともに歴史的に記録保存したいものである。
手宮線駅のプラットホームへの出入り口は鉄道輸送が当たり前の当時の邸宅で必要な生活物資の搬入出や取引商人などの出入りに便利なように作られていたと思われるが、今となっては詳しく語れる人は少ない。
    藤山邸の没収の際その『藤山邸を歴史的建造物として残す方向の議論は全くなされた気配はない』と山下さんは残念だという意味で述べている。

この話は平成20年6月に後志版に掲載された。
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by kotendesky | 2008-12-22 00:39 | 冗舌亭日乗
2008年 12月 06日

年末年始

すでに病院は年末年始の予定が走っている。
365日24時間営業の業態だから、年末年始の9連休は世間の話で、こちらとは関係ない。
27日と31日の当番が当たった。だから年末年始は絵を描くことが出来そうだ。街をぶらつく以外は勤勉に過ごす(笑)。
それでも元旦の勤務をする人はもっとストレスだろう。
実はこの勤務ダイヤを組む役目は自分だった。したがって大晦日と元旦は覚悟していたが元旦を引き受けてくれる人がいたので、31日を引き受けた。大抵初詣の人の流れの中を深夜勤務に向かう。

同じ医療とひと口に言っても、診療所と救急総合病院は勤務の過酷さは天と地ほどの差がある。
普通のサラリーマン生活がしたかったら診療所や医院を仕事とする方が楽だ。
だが、一線の医療現場で自分のスキルを高めたいと考えたらERは格好の仕事場だ。
ストレスが多く仕事のテンポも速く、考えるヒマもないが多くの貴重な経験を積むことにかけては総合病院の救急部門は昔から人気がある。
自分も若いときはそうした仕事を選んで少しは人の役に立ってきたが、さすがにこの年齢になってからはしんどいなあというときもある。正直に言えばそんな感覚だ。
しかし、自分が世の中の役に立ちたいと考えていれば魅力的な仕事場ではある。

絵を描くことが、ストレスの緩和に役立っている。
作家生活は自分がすべてだから、自己を管理するという意味では激しい仕事の緩衝材に格別の意味がある。
何より作家という生き方が好きだからでもある。
同時に医療という自己の役割がきっちり見える職業も魅力的なものである。
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by kotendesky | 2008-12-06 02:54 | 冗舌亭日乗