(ときどき)個展deスカイ!

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2007年 11月 27日

MILKMAID -(2)

さて、ミルクメードの解釈に私なりの意見を加えたい。

この絵の破綻という意味で一番気になったところは、彼女の右腕の下側の空間の描き方だ。
ブルーのエプロンとミルクの容器とのなす細いうす茶色の三角形の部分である。
この部分は背後の壁が位置する重要な部分であり人物と壁の距離をかなり説明的に描きたい部分であろう。
フェルメールは光の移ろう様を描き分ける天才と言われている。
窓から差し込む光、ガラスが割れたところから差し込む光の変化、壁の白さの移り変わり…

しかし、彼女の右腕下方の空間の壁の描き方が極めて雑ぱくだと言うことに気づいた。
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彼女の右肩の背後と窓の下と画面向かって右側の広い壁の空間のいずれとも似つかわしくない色味の絵の具をしかも雑に塗り込んでいる。
そこだけが左腕の一部と同じ明度、彩度で描かれており、背後の壁空間との説明が不十分だ。むしろ右腕との距離感が感じられないべた塗りに近い。

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もうひとつ気になるのは彼女の視線が遠いところだ。ミルクをちょろちょろと加えて何かを調理している図だが、解説によると固くなったパンにミルクを含ませて柔らかくしている所だという。
あるいはパン粥にして食する準備だとも言う。
この場合いずれもパンからしみ出すほどにミルクをかけてはいけないという。
であれば、この人物が少しも前屈みにならずむしろ視線を遠くに据えている姿は心理的に不思議な気がする。テーブル上のパン塊全体を観ているのかそうでなければぼんやり考え事をしているようにも思える。
作者がそうした構図を採用することによってこの絵の品格、すなわち作品としての独立性を強く主張しているのだと思う。

中世オランダにおける使用人は家族と同じ地位にあると言われる。すなわち同じように食事をし女主人と同じような労働をし同じテーブルに着く。

右下の足温器は最初洗濯かごを描いてあり、洗濯物が山盛りになっていたが、何らかの理由で作者が消して壁とし、床に近い巾木の部分にタイルを描きその一枚はキューピットが描かれている。
そして、不思議なことに足温器の床面と肩幅や股関節の位置から類推されるこの女性の足の着地点はかなり空間的にゆがんでいる。

また、パンの乾燥を防ぐために青い厚手のテーブル手前の布でくるんであったと思われるが、その布の質感と色は彼女の作業用のエプロンと同じ質感であり同じ色を使っている。点描で光の反射を描く技法も同様に用いている。
フェルメールの時代は絵の具をチューブから出すのではなく細かな顔料粉末を石版上でリンシードオイルなどで練ることからパレットは小型で、自由に何色もの絵の具を大型のパレットに出してその絵の具同士をパレット上で混ぜるということは出来なかったと言うから、この二枚の布の色に関して似ているのは仕方がないとしても、質感も描法も女性の腰を覆う布とパンを包む布を同じように描くことに何か意味があるのではないかと思う。

ゲルマン系の濃いオランダ女性は我々から見るとラテン系の女性のようなかわいらしさを感じさせず、むしろ大女で肩幅も腕っ節の強さも総じて違和感があるが、この女性は中世ヨーロッパの感覚から言うと魅力的で若い。
(この稿つづく)
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by kotendesky | 2007-11-27 00:28
2007年 11月 24日

MILKMAID BY VERMEEL

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「牛乳を注ぐ女」と訳されていますが原題は「ミルクメイド」
この絵画について野田弘志さんは特に背後の壁の厚さに意味があるという言い方をしています。
「厚い壁がまるで鋳型のように室内空間全体が石から掘り出したかのように強固で微動だにしない重量感と存在感を持つようになっている。」と言います。
そして「その壁は叩いても隣の部屋に反響しない何十センチという厚みでもって絵のためにしつらえられた書き割りではなく、堆積した時間さえも封じ込めるかのような壁を描くことによってこの部屋の向こう側のもう一つの部屋とさらにその壁の向こうに広がる街の空間につながっているという意識を見る人にかき立てると言う効果を持っている。」と言います。
さらに「それは日本画のような曖昧な『背景』ではなく石の表層に戯れる光の繊細なトーンを描き尽くそうとしている。」と加えています。

絵というものが写真ではとうてい現し得ない時間と空間の堆積とそこで繰り広げられる何気ない日常の行為そのものが、厳粛で神秘的な儀式のように観るものに働きかけてくるという野田氏の解説は、ふだん軽く描いている絵という行為そのものをもう少し丹念に実体と向き合うことによって解釈や哲学を封じ込める作為あるいは必然を併せもった造形行為であるという警鐘を僕らに与えてくれていると思います。

現代美術にしばしば観られるような奇をてらったり、ライブと称するパフォーマンスそのものが美であるという軽薄な一端を、存在の重さ、時間の堆積と現実世界の存在証明そのものに重厚感と行為としての価値があるという対比と意義を感じさせてくれます。

オランダ風俗絵画に寓意性と娯楽性という面があることは理解できましたが、フェルメールの「MILKMAID」はまるで違った芸術としての作品として後世の我々に示唆する作家の意志の強さを伝える展示でした。
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by kotendesky | 2007-11-24 00:46 | ギャラリー放浪記
2007年 11月 21日

病院での朝

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火曜の朝8時半からずーっと病院で仕事をしていた。
昼過ぎに患者さんが入室した手術が終わったのが水曜の早朝なので、緊張したり弛緩したりで一晩過ごした。
病棟から毛布を調達してソファで横になったが目をつむるだけで意識がなくなる眠りは10分くらいのものだ。
ちなみに普段いすに座ったり、ソファにもたれかかってする5分や10分の「眠り」が日常的な睡眠の補完をしている。
でも、一睡もせず通常の外来診療に移行したがさすがに眠い。
考えてみれば病院でたびたび一夜を明かしたのは、25,6歳の新米の頃以来だから30年近く昔のことだ。
我々のように夜光虫の仕事は人工の光の下で働くことが多いが、病院という建物の窓から朝が来るのはわずかな喜びである。忙しいと白々と明けてくる朝を意識しないことも多いが、夏の季節だと太陽が窓から差し込んでくると訳もなくうれしいものだ。

赤い目を冷水で冷やす。歯を磨く。石けんで顔を洗う。ひげを剃る。新しい白衣に着替えるとさあ今日もやるぞという気がしてくるから不思議なものである。人間なんて単純なものかもしれないなあ。
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by kotendesky | 2007-11-21 21:55 | 冗舌亭日乗
2007年 11月 15日

近況

11月から12月にかけて行われる「カフェ&ギャラリー北都館」の出会いふれ合い絵画展の出品作を描き始める。

寒い今週末は休暇で留守にします。
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by kotendesky | 2007-11-15 00:49 | (七転八倒)制作記!
2007年 11月 11日

再び下地

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まあ、私は年中下地と格闘しているという状態です。
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キャンバスを水平に置けるスペースが必要です。100号になるとケッコウしんどいです。
こういう状態でジェッソをキャンバスに擦り込むように下地の第一段階を施工します。
つぎに、瑚粉と固着力の強い水性塗料を混ぜて大ざっぱにナイフで盛り上げます。
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こんな感じです。
このままでも雰囲気はありますが、今回はこの上から水と刷毛でならします。
さらに生乾きのうちにスプレーで均一に水を吹きかけて刷毛目を消します。
今回は平滑な面を欲しいためにこうしました。
水は一定の厚さになると表面が極めて水平に保持されます。そのうちに下の塗料とわずかに混ざり合わさり、最終的には平滑な面に近づきます。
これを満足がいくまで繰り返します。
作家によって、下地は秘密の要素があるものです。昨年の経験から下地処理で油絵の7割は雰囲気が決まるという実感がありました。
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by kotendesky | 2007-11-11 16:14 | (七転八倒)制作記!