(ときどき)個展deスカイ!

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2007年 10月 31日

錦秋の「すばる」

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 昨夜の星空は余計な水蒸気がはらわれたせいかとりわけ澄んでいた。明るい月がまだ
東北東の空に輝いていたが、うっすらと銀河も見えたようだった。
 東の空にはオリオンが輝き、その遙か天上には六連星(むつらぼし)という別名を持
つ昴(すばる)がいつも見える。

 その日の昼近くにその「むつらぼし」のような人は亡くなった。清い心と生きるとい
う意味をまだ若かった僕にそれとなく教えてくれた。
 それから二十年ほど経って、僕の初めての個展にその人は変わらぬ笑顔で現れた
 二十年の歳月はその人にも僕にも決して簡単に丸めて言えるものではないし
そもそも人生というのはそのようなものだろう。伝えることは多くあるが多く話せば
理解が深まるというものではない。饒舌ということはお互いに不得意でどちらかと言えば
普段の顔は無口な方だ。常に何かを思索しているような眼差しはある種の諦念のような
ものさえ伺わせた。

 「日本の科学技術を結集すれば理想とする福祉機器はいくらでも出来る。オーダーメイ
ドで何不自由のない機器が障害者に行き渡るはずだ」というのがその人の口癖だった。

 でも、日本の企業は確実にロボット工学から派生した技術で動く装具に進化しつつある。
 「遅れはしたがその芽は案外暗くはないのじゃあないのではないでしょうか。」
 こう言ったとしても「キミは楽観的だからなあ」と茶化しただろう。
 そうです、その少年のような笑顔が僕にやる気を起こさせ続けてくれたのです。

 享年67。香西智之(こうさいとしゆき)さんが逝ったのだ。筋ジストロフィーという
 治療法のない難病を感じさせぬ人生を乗り越えた生涯は見事と言うしかない。



 
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by kotendesky | 2007-10-31 23:23 | 最新情報
2007年 10月 28日

点滴と24時間勤務

木曜日の朝起きたら、喉が腫れて痛かったので鏡を見ると扁桃が赤く肥大していた。
声の調子もヘリウムガスで声変わりしたように変な声だ。

職場では風邪が流行しており、世間でもはやっているらしい。
用心していたがとうとう私の所へもやって来たわけである。

土曜日は24時間のオンコールで朝からICUなどへの出勤なのでそれまでに抗生物質で抑えなくてはならず、早速点滴を打ってもらった。用心のためにさらに金曜の夕方に点滴を追加した。
その他の経口薬を調整し金曜の夜までになんとか地上の人間らしい美声に戻った(笑)。

抗生物質を風邪には使うなという意見もある。がしかし具体的な感染を把握しているなら症状が悪化する前に極めて少量の抗生物質を投与することは理にかなっている。手遅れになって大量の抗生物質を打つことが分かっているなら初期に叩いておくのは間違いではないと思う。
二日で症状が軽快し、マスクをしながらでも仕事に穴を開けなくて済んだから治療はうまくいった。

いまは、まだ残り8時間の自宅オンコール体制だ。スタッフ招集の無い急患もなく朝が来てくれることを祈っている。

夜中でも朝方でも駆けつける私たちは自分の体調を維持することも仕事の一環だと思っている
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by kotendesky | 2007-10-28 01:05 | 冗舌亭日乗
2007年 10月 21日

道展2007

自分でも不思議だが、落選してもそんなに気落ちしていない。
昨年は、しばらく絵を描くことが出来なかったが、ことしはやりたいこと試したいこと
がいくつかあり、しばらくは楽しめそうな感じがする。
今年応募した絵は、自分のスタイルをつかめたような感じがしており、今後の方向性を
ある程度示してくれたのでそれなりに満足度が高い絵だった。

まあ、結果は落選だが満足度は昨年の比ではない。マチエールにこだわることが自分の
方向としてひとつあることが分かったし、自分のスタイルは総合的には古いと言うこと
もよく分かった。今の道展とそのスタイルがマッチングしていないということはもとも
と承知しており自分の絵の世界に統一性(統合性)という画面整理をしなければ入選は
出来ないことも分かった。

公募展はふるいに掛けることだ。その審査のフィルターが分からないと作家はそこに魅
力を維持し続けるかどうかは決められない。
今後の活動として道展を含めて公募展に応募し続けるかどうかは分からないが、年中行
事として個展と公募展の二つを組み込んでいるという生活はメリハリがあり気持ちを維
持させる原動力になっていることは確かだ。

日常的に絵を描いているとついつい自己満足だけで終わってしまいがちになるが、公募
展というある意味でいくつかのスタンダードが求められているイベントに参加し続ける
ことは、自分の技量のぶれを修正するためには有効だと思う。
絵を描くと言うことは長期のビジョンを持ち確実に力量を付けるという強い意志を持ち
続けなければ成功するとは思えない。
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by kotendesky | 2007-10-21 22:04 | (七転八倒)制作記!
2007年 10月 14日

搬入へ

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今年の道展出品作です。
小樽の北海製罐の工場を正面からがっぷり四つで描きました。
こういう構図はテクニックで逃げられません。自分の持つすべての技術を出しきるしか描く方法がありません。
描ききれなかったところはありますが、深い水の表現が最大の悩みどころでした。
自分の絵のスタイルは水をどのように様式化して描くかと言うことですので、この表現しか無かったわけです。

私は風景画家ですが、風景を描くことと静物を描くことは同義だと思います。
ですから、描く対象をどのように画面に配置し何を伝えるかは絵の最大の追求課題です。
同時に風景ですからテーマをどこにどのような考えで持っているのかを表現することが肝心です。
一見、建物と水の描き方が違っており同一画面に組み合わせることで不自然に見えるかもしれませんが、実在としての建造物と時間の経過としての水を主張することで絵の世界が出来るのだと思います。少し理屈っぽいですが、唯物論と唯心論をインテグレートすることが現在の私のテーマなのです。
絵は写真ではありません。作家の思想が画面にむせかえるように現れていなくてはならないとも考えます。

題名は『風韻の碑・夏』としました。
6月下旬の夏の運河、午後1時頃。外気温は30度ほどです。
小樽の風韻(風趣のある形)の碑象として製缶工場をとらえたわけです。

審査の先生たちにどのように自分の考えが伝わるかが最後に残された課題でしょう。
この部分は自分ではどうしようもありません。
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by kotendesky | 2007-10-14 22:11 | (七転八倒)制作記!
2007年 10月 14日

仕事の日

365日24時間の病院勤務となり、本日は日曜なのに朝から仕事。
ERと兼務なので月に5日ほど呼び出し用のPHSを持って帰宅する。
土日の公休日に当番になると朝から午前中は出勤する。
その後はオンコールのため自宅待機だ。
平和な日だとそこそこプライベートな日課をこなせるようだ。

こういう日常の中で絵を描いている。

道展の作品は昨日13日に日通に渡した。
久々に何もない土曜日を過ごした。大倉山の麓の某そば屋さんに昼食に行った。
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by kotendesky | 2007-10-14 14:36 | 冗舌亭日乗
2007年 10月 08日

マチエールのこと

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下地にリキテックスジェッソを用いて、二度塗りし、三度目に瑚粉を溶いて加えます。
ジェッソは高いので塗料の水性アクリルのワゴンセールで缶入りのものを買っておくと良いようです。その際日本製のものを求めます。ダイソーの100円缶は韓国製で色が汚いと思います。
瑚粉は所々不均一にダマになり、本当はあとで剥がれる原因になるのでしょうが、そこはぬかりなくジェルメディウムで覆ってしまいます。そうすると強靱な皮膜が生まれますが、その上に油彩を施すとはじかれる場合があります。
ダマになったところがマチエールとして効果的な風合いになります。
ジェルメディウムの上は油彩の場合ワニスに富むとき油で少し濃いめに描いて行きます。
アクリル絵の具はメディウムの性質を理解して経験を積むことがカギです。同様に混合技法の一部として油彩を併用する場合もアクリルとワニスの相性をある程度経験的に把握しておく必要があります。
絵の具は完全に乾くと他の絵の具を重ねるときにワニスに富む描き方をしなければなりませんが、一日二日程度の乾き方なら完全に乾いているとは言えませんからどんな描き方も受け入れられます。
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by kotendesky | 2007-10-08 23:08 | (七転八倒)制作記!
2007年 10月 07日

最終週

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色々な出来事がありました。
取り巻く環境は大きく変わりました。
でも、絵のスタイルや制作への情熱は変わりません。
6月のキャンバスの準備から下地処理、下塗り、薄描きなどを静かな境地で過ごすことが出来ました。
作家は日常の少しずつの筆の重なりが最終的に作品となることに情熱を燃やすものです。
絵は結果です。その過程に意味がありますがそれは作家と作家の心を知る優れた観察者だけが分かるものです。
しかし、安全地帯にいて抽象的な批評を垂れている「批評家」と思われている人々に心底訴えられる作品が本当の意味で価値のあるものなのかもしれません。
なによりも、普通のお客様の観察眼を満足させられる事が分かるからです。
その意味で普通の自称批評家という人々は大切なのかもしれません。
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by kotendesky | 2007-10-07 02:43 | (七転八倒)制作記!
2007年 10月 05日

水の深さ

小樽の運河を描いている。
深く沈んだ水の底から、限りなく澄んだ周辺の建物の形を表したい。
これがなかなか深いテーマである。

水を描くことは作者の造形への思いを描くことでもあると思う。
水は動きを止めない。様々な光を反射して「これだ」という一瞬もない。
そういう姿を描くと言うことは、突き詰めれば作者の「こころ」を描くことだと思う。

作家はいつも前線に身をさらしている。危険に対して素手で対峙していると思う。

安全な場所で安易な感覚で絵を描いている根性は持ち合わせない。

だから作家なのだ。

世間に対して危険を顧みずに自分をさらけ出し、その批評をまともに受ける。
その覚悟がないと作家という生業を続けられるものではない。

これは仕事でも同じで、マイナス思考では仕事の発展性はない。
仕事をふくらませること、仕事を深い大きな感覚で捉えること、みんなが仕事に対して打ち込める雰囲気を醸し出すこと。
こういった職場はリーダーの具体的な考えや課員の意気込みが伝わってくるものだ。

絵であっても仕事であっても「進める」というプラスの思考が大事だ。
回り道で迷うことは良いが、安全地帯に引きこもりがちになって守りに入ることは造形への敗北の姿勢である。

仕事という公的な対応姿勢と制作という個人的作業の方向性は、より高い目標に向かって個人個人の考え方を高い意識に向かって統合昇華させるという意味では共通の作業だと思っている。
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by kotendesky | 2007-10-05 00:14 | (七転八倒)制作記!