(ときどき)個展deスカイ!

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2007年 09月 28日

眠い…

絵を描かなければならないのに、夕食を摂ると眠くなる。
そこを我慢してアトリエに直行。しばらくぼおーーっと、野田弘志さんの画集など観る。
スフマートで描く。絵の具の結晶のようなマチエール。描ききったときに空間が自分の世界になる。と言うようなほとんど自分とは縁のないというか及ばない表現に出くわす。
それでも自分の絵を目指して頑張ってみる。
絵は人なりである。自分の絵は自分にしか描けない。今の自分が絵の中に魂する。
そう、「タマシイする」のだ。
師匠の絵とも親父の絵とも違う、自分の絵だ。誰がどういおうとも自分には違いない。
アトリエの室温18度。道展の制作期間は盛夏から秋まで激しく室温が変化する。
真夏の夜は水道で頭から水を浴びてタオルの鉢巻きとランニングシャツと半ズボンから、この頃はトレーナーにジャージーのズボンまで変化した。帰りに玄関を出るとふと暖かく外気温を感じた。

帰宅してメールを開くと、本宮さんのブログ開設のお便り。
がんばり屋さんの本宮さん。開設おめでとうございます。

なにか久しぶりに良い日が来た。

仕事も、絵の方もなんとか順調に推移している。
絵を描きながら、職場での出来事などを反芻しながらいつの間にかストレス解消になっていることを発見する。
やはり絵を描いて良かった。没頭するという姿勢ではないが絵を描くことで自分の目標が次第にはっきりとしてきた。
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by kotendesky | 2007-09-28 00:35 | (七転八倒)制作記!
2007年 09月 24日

通勤

幸運なことに、就職してから通勤らしい通勤というものを経験していない。
東京で3ヶ月ほど、赤坂のしゃれたクリニックにインターンシップのバイトで通っていた頃と義務化されていなかったが卒後研修で現在はスピカになっている総合病院に通っていたときが通勤らしいと言えたが、それ以後は職住接近という生活をしていた。
極端なときは敷地内の管理職住宅から職場まで30秒と言うときもあった。

現在の病院は駐車場が狭く、通勤距離が短い者は全員公共交通機関によることとなったので、極めて短い時間をJRで通っている。
車の運転が面倒になったときなので、内心では楽だなあと思っているが帰りにちょっと買い物でもというときは不自由だ。
普段は夜の時間は絵を描いているので、伝書鳩生活が当たり前だからまあ良いとする。
ようやく職場にも慣れ、これまでの患者さんも大勢見えるのでありがたいことだと思う。
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(作品は未完成です)
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by kotendesky | 2007-09-24 02:12 | 冗舌亭日乗
2007年 09月 16日

父と子

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特別に意識したわけではないが、師匠の影響から抜け出るために、
自身の解釈だけで絵を描いていると、親父の絵肌に似てくる自分に出会う。
色遣いをアンバー主体に持ってくると親父の描いていた世界に近づく。
意識をしなくても近づいてしまう。
不思議だが、これが父との回避できない絆のような気がする。
(写真の絵はまったくの未完成です)
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by kotendesky | 2007-09-16 03:33 | (七転八倒)制作記!
2007年 09月 08日

父の鉛筆

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亡くなった親父のアトリエに入った。
机の上に使いかけのスケッチ鉛筆が置いてあった。
今私が使っているものと同じ輸入銘柄だ。軸のデザインが微妙に違う。

親父は国鉄を定年退職してから新道展に入選していた。
5年くらい新道展出品を続け、同時に道展に挑戦していた
時期があったことを葬儀で知った。
私は上京して学生だったから最近までそのことを知らなかった。
残されたキャンバスの裏を見ると当時の出品票が茶色く変色して貼られている
幾枚かの作品が出てきた。いずれも手稲鉱山の洗鉱場をモチーフにしていた。

家の玄関には100号の作品を展示できる壁があった。退職金で家を増築したとき、
12畳ほどの板敷きのアトリエと広い玄関を作った。
油彩100号は何枚か掛け替えたように記憶している。

親父は屋敷にカネをかけることをいとわなかった。
白い漆喰の壁、板敷きのフロア、ガラスの棚、室内のドア、出窓、中庭に面したパティオドア、
ソファの応接セットと家族の食卓テーブル。
木々に囲まれた屋敷は、昭和30年代半ばの建築としてはかなり贅沢だった。

しかし、真のねらいは私たち4人の子どもたちに部屋を与え学習の環境を
整えるということだったのだろうとあとになって長兄から聞いた。
長兄は道教育大特美、秀才の次兄は札幌西高から北大理類に入った。
姉は道立の商業高校に進学しいずれも勉学に励んだようである。
私をのぞく兄姉は親父の期待に応えそれぞれの道を歩んだ。

高校を卒業して進路に迷った私が、上京して青春時代を彷徨している頃に
親父は情熱をもって絵を描き続けていたことが自分には誇りだったに違いない。
落ちぶれる快楽に向かわなかったことが親父の無言の指導だったようだ。
うるさく勉強しろとは言わなかったが、自分の背中を見せることで末の息子に
人生の大切な勘どころを伝えたかのようだ。

今、私はもうじき親父の定年の年齢を迎える。そして本格的に絵を描き始めた頃も
親父が本格始動した年齢の時分と同じである。道展に挑戦していることも同じだ。
不出来な末っ子だったに違いないが、同じような道程を歩んでいることを心地良く感じる。
『税金で勉強させてもらったのだから、少しは人様の役に立て』
と言われているようで苦笑するこの頃だ。

忙しい最近だが、親父の期待に最後は応えようと思う。
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by kotendesky | 2007-09-08 00:41 | 冗舌亭日乗