<   2007年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2007年 08月 28日

月食

f0019379_23312497.jpg

そういえば、皆既月食をゆっくり観たことは無かったようだ。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-28 23:31 | 冗舌亭日乗
2007年 08月 27日

ある終わり

f0019379_23261520.jpg

山路を登りながらこう考えた。知に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角にこの世は住みにくい  …とは思わない。

知を用いれば解決もあろう。たまには情に棹さすことも必要だ。
意地を通すことはもっと大事だ。
兎角にこの世は考え次第。苦しくもあれ楽しくもある。

4月9日に母を亡くし、つい先頃8月24日に父を亡くした。
そうして、こう考えた。

人生、つまらぬ小事にくよくよすることなかれ、もっと大きな考えが大事だ。
ひとの優劣は紙一重。抜けるか抜けないかは自分の基の持ち方次第。
基の持ち方と気の持ち方は似ている。

考えていること、実現したいことと現実のギャップは大きい。
2分の一か3分の2か、それが問題だが、全体としてみれば所詮出来ることは限られている。
人生はあまりに短い。
しかし、その短い一生に人間の真価が問われ続けている。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-27 23:44 | 最新情報
2007年 08月 26日

しばらくお休みします

すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、
職場が移転統合することになり、繁忙のため
しばらく、お休みします。

絵の方もなかなか思うように進みません(汗)
[PR]

by kotendesky | 2007-08-26 10:49 | 最新情報
2007年 08月 24日

しかし…

f0019379_026654.jpg

「KOKUGI」を名乗るほどの団体なら、処分を決めた大人たちが右往左往するなよなあ。

アメリカならすでに舞台は法廷に移されているぜ。

まあ、それだけ日本は穏やかな国民性ということかなあ。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-24 00:00 | 冗舌亭日乗
2007年 08月 19日

ドラムセッション

まあ、盆踊りですけれどね。

筆者を多少なりとも知るひとは、毎年一度、この時期の数日間だけドラマーとして
野外ライブに出演すると言うことはちょっと想像できないでしょうが、
地元の盆踊りの櫓の上でパフォーマンスをするわけです(笑)。

数年前から太鼓が2基になり、人が多いとセッションするわけです。
これは相当楽しいことです。
当人たちは結構まじめに打ち込んでいて、数日前からそれぞれ練習するわけです。
当日は打ち合わせなし。
基本のパターンが決まっていますから相手に合わせることも出来るし、
自分がリードする場合もあります。
その場の雰囲気と疲れ具合で相手をカバーするわけですよ。

で、自分のばちは樫の木で結構重量もあり3センチの太さですが、
昨日皆さんのばちを持たしてもらったところ、朴の軽めのばちが主流だったのですねえ。

自分では、重いばちで打つ方が弾んで音がよいので好みです。

盆踊り会場へ行くと、うち手が変わりスパンスパンという音を出すひとと
ドスドスと重くたたくひとが居るのですが、こういう部分が違うからです。

太鼓の皮の反発を重視すると軽快な音になります。
振動をある程度抑えて重い音を出すひとも居ます。
あと、角度とか手首のしなりを効かせるか腕のチカラを使うかなど
それぞれが今表現したい音を刻みます。

ケッコウ繊細な技を披露しているわけなんですよ。

昨年から中学生が来ていて、これが才能ありそうなので聞くと今年中学一年だと言います。
すると昨年は6年生だったのですねえ。
「来年も来いよ」ということで町内会の役員さんの計らいでばちをプレゼントしたわけです。
自分のばちを得てうれしそうだったですねえ。ばちに馴れておくと上達は早いと思います。

13才と54才のセッションは来年も続きます。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-19 02:11 | 冗舌亭日乗
2007年 08月 13日

深刻な …悩み

絵を描くと言うことには色々なスタンスがあって良いと思うが、自分の個展を開いたり公募展に応募したり一応美術文化のうえで『主張』や『哲学』の意味づけをしようとするとオリジナリティーという裏付けをしなくてはいけないようだ。
要するに他人のまねではないという作家独自の画境をわかりやすく示せないと、ひとは本当の評価をしてくれない。

私は、高校時代に美術の先生の作品に強烈な衝撃を受けて絵が好きになり、描くことやものを作ることを生涯の目標にしようと思ったことから、当然その先生から相当広範囲な影響を受けている。
先生の描く姿を横目で見ながら色の調合やとき油の選択法を盗み、キャンバスを張り春休みの間に学校に先生を訪ねて授業で放置された他の生徒のキャンバスをタダで貰いに行った。
高校生の頃はそれでも若かったから、自分のスタイルを模索するのに夢中でわざと色も描き方も先生と違った方向に進みずいぶんと年寄り臭い渋い色遣いを意識して取り入れたものだ。

幸か不幸か、特美には受からなかったから、人生の自由度は高まりひとの役に立ちそうな仕事を生業にしたが、絵の道具を幾度もの引っ越しの間中離さなかった所からも分かるように将来絵を描くことをライフワークにしようと考えていた。

30過ぎに今の職場に転勤になり朝出かけて夕方には戻るというサラリーマン生活が出来るようになると、絵を描くためにアトリエとして使える部屋のある一軒家を借りた。実に十数年ぶりにキャンバスを張り絵の具を溶きイーゼルを用いて油彩に戻ったのだが、ブランクを速く埋めるためには師匠のお手本を模して描くことが近道だった。

ブルーやバーミリオンの線描を施して厚いマチエールの上にさらに線描を加えるという基本的なスタイルは師匠の模倣である。
その模倣を5、6年続け、ようやく50号くらいまでなら自分の絵が描けそうになったときに思わぬ公職につく羽目になり、ふたたびの中断を余儀なくされた。
その間はデザインや出版編集の分野での出番を発揮できたため、鬱々としながらもそれなりに新鮮な経験を積んだから無駄とは思わないが絵から真剣に離れてしまうのではないかというあきらめともつかぬ心境になった。
本当の意味で油彩に復帰したのは2004年だから今年でわずか3年である。
最初の2年は色も描法も師匠の物真似。
といっても、そう簡単にコピーできるほど単純ではない。第一に自分は不器用だ。
画面の端から端まで一直線に線描を描けるにはおそらく向こう20年はかかるだろう。そのころにはまあ自分なりに絵の解釈が出来て一言くらいは発言しても誰からも批判されないほどの境地になれることを目指している。

しかし、オリジナルという観点からするともう自分では純粋な意味でのオリジナルを描くという言い方はやめようと思い始めている。
色にしても画面作りにしても最早師匠と自分の関係を切り離すことは不可能なところまで来てしまった。治らないのである。やめるつもりもない。
開き直りと言うことではないが、他人からとやかく言われることにびくびくしていると自分の思う絵を描けないばかりか、自分というものを見失い自分であって他人の絵の上澄みを混色しているに過ぎないみじめな心情ばかりが想像されるのだ。

自分が清澄だと思う色、自分が美しいと思う描法、自分が求めている画面世界を描くことが結局は、ひとに自分という形を示すことができる一番誠実な方法ではないかと思っている。
それのどこがいけないと評者が言えるのだろうか。

不器用で頑固な絵であっても、気分や流行に惑わされず少なくとも邪心のない澄んだ画境で絵という自分にとっての何かを作ることが出来るとすればそれだけで幸せだと思っている。
見かけの心地良い評価よりも自分の満足や自信を獲得する方が人生にとって大事なことだと当たり前だが最近つくづく思う。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-13 16:10 | (七転八倒)制作記!
2007年 08月 11日

COOL BIZ??? フザケルナ

クールビズという言葉は信用ならない。
そもそもクールとビジネスという単語から、『涼しい格好でし・ご・と』という意味が導き出せるという神経が理解できないのだ。
クール(格好良い)なビジネス(契約など)だと普通の英語神経なら詐欺師か信用ならない契約相手でしょう。
しかも、国会が28度だからネクタイをはずせ、ネクタイをはずせばスーツを着ていても良いという安易な取り組みが『イイカゲン』な印象を与える。
それに加えてクールビズという造語を充てるのはいかにもコマーシャル分野以外の広告マンの発想レベルだ。


そういうヤツが選挙を単なるショウに引きずり降ろして人気投票に目くらましして、とにかく抵抗勢力だ刺客だとマスコミを活用して多数をとれば、いい加減な法律で国民の目を誤魔化せるという低級なスタンスで政治を操作してきた集団の行いなのだ。

フランスでは仕事をする上で、ノーネクタイでは一流の人間たちのするまともな行いではない。
どんなに暑い夏でも一流のサラリーマンはスーツにネクタイと相場が決まっている。

湿度の高い日本だからネクタイをはずして涼しく仕事をしようと言うのなら、日本のファッションの総力を挙げてノーネクタイでもおかしくないファッションを提唱するべきだ。そういう国際的にアピールする企画に1億円くらいなら税金を投入しても良いと思う。
カネを投入しないから政府が呼びかけたデザイン募集に適当なファッションしか登場しなかったのだよ。分かるかね。真剣なデザインコンペを実行しなけりゃどこのデパートもブランドもまともなアイディアを出すかいな。

インドネシア、ベトナムやフィリピンなど、ノーネクタイの略装、正装を採用している国は多いが、日本の『クールビズ族』は農協ツアーご一行様と大差ないだらしなさだ。それで閣議だ委員会だと真剣に議論している映像を見て、外国メディアは田舎者の日本人をことさら強調して写すだけだよ。
ちなみに、国会議員がだらしなく映るのは肩幅が狭いことと胸の筋肉を鍛えていないから貧相に見えるという基本を理解していないからだ。まずクールビズを言うのならスポーツクラブに通ってから言え。

暑いことを辛抱して、人前に出て、用事が済んだらしばしネクタイをゆるめて冷たいコーヒーで涼をとる若い営業マンの方がよほど仕事に真剣さが伺えるというものではないかね。

『もののふの採る道だ』という発言を聞いたが、武士たる者ネクタイなしでもののふなどという言葉を使うかいな。まるでふんどしに大小二本の脇差しをしているような滑稽さだ。

国会ではネクタイ着用。これがもののふの採るべき唯一の姿である。
働く者も、せめて通勤や人に会うときくらいはネクタイを付けるのが礼儀だと思う。
[PR]

by kotendesky | 2007-08-11 00:44 | 冗舌亭日乗
2007年 08月 06日

忙しい…

f0019379_11404559.jpg










職場がまるごと移転することになり、サボっていた準備がいよいよ迫ってきた。
なにせ、20年以上も住んでいたようなもので、自分の私物の機材がいろいろある。
研究用の機材の他に泊まり込み用のシュラフや自炊道具など、くだらん私物が多い。
山で使うより職場で使うという具合だ。上司が某所の医大からもらってきた麻酔機まである(笑)。
ついには山スキーまで出てきて、これはちと厄介だなあ。これも、某課長が置いていったものだ。捨てるぞ。捨ててくれるのかなあ。

おまけに、先週は夏風邪をひいた。土曜日は寝ていたかったのだが新しい職場のコンピュータシステムのシュミレーションに駆り出された。
ひとりだけスーツにピンクのマスクという異様な出で立ちで結構目立った。(笑)

夜は、公募展用の作品を描く。すでにキャンバスの2度張りを行って、下地はほぼ出来た。土曜の夜と日曜でデッサンを終えた。

本日は、カミさんがお友達から蔡國華さんという中国の作家の作品集を借りてきてくれた。ずいぶんと参考になる。自分の求めている絵に近い。中国っぽい素描とアメリカンなスタイルの具象系作品はキャンバスの目を活かした素敵なタッチでまとめてある。

今年の100号は下地を2回慎重に作り、デッサンをワニスの効いたとき油で描いた。ワニスを用いて絵の具の剥離が起きないように慎重に描く。張り物もジャパンゴールドサイズというワニスで強固な面にしようと思う。


(挿絵は文とは関係ありません)
[PR]

by kotendesky | 2007-08-06 23:02 | (七転八倒)制作記!