<   2006年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧


2006年 10月 31日

『SHINJO』という生き方

プロ野球は、日ハムが優勝してあっけなく終わった印象を持った。
しかし、この優勝に向けた日ハム選手の集中力や統一性はやはり他のチームを大きく上回っていたのだと思う。
SHINJOは、3年前このチームに合流した。福岡県福岡市出身(生まれは長崎県対馬市)、の彼にとっては対極の寒い都市に移転した直後の決定だった。
しかしSHINJOは、プロ野球が根付いていないこの北海道に着実にファンを増やした。そして06年の開幕戦には札幌ドームを満員にし、自らも派手なパフォーマンスを見せて観衆を沸かせた。
『記憶に残るプレーヤー』が信条の彼にとっては、客を喜ばすと言うことは極めて当然の仕事なのだろが、単に野球選手という以上の強い印象をこのプレーヤーは北海道のファンの気持ちに訴えかけたのではないかと思う。そしてメジャーリーガーから6年ぶりにSHINJOから再び『新庄』に戻った。

どんな事でも、ひとの琴線に触れることは容易なことではない。見せかけやはったりでなし得るようなことではない。その共鳴する微かな振動をわきまえ多くの人々と共有していないと単なる消え去りのパフォーマンスに終わる。
新庄は、野球の天才ではないしパフォーマンスの天賦の才を携えている男でもない。見たところ研究熱心で極めて緻密な計算の上で行動しているように思える。しかしそれを感じさせないで次の出し物が何か分からないから新庄らしさが醸し出されるのだろう。
シーズン中の早い時期に引退宣言をするということや、モデルになったりムービースターになると公言したりすることは保守的な日本では極めて異例でたまげたことだがどっこい社会は、それを包容できる余力を持っているというのが一方の事実でもある。

しかし新庄は、孤独なパフォーマーではなかったか。彼は常に時代の少しだけ斜め前を彼なりの道を見つけてむしろうつむいて歩いていると私には見える。しかし彼なりにその道が好きなのだと思う。時々見せるふとした真剣な眼差しは、多くの場合地面に向いているが、その顔を人々に向けたときはもう次の行動を決めている。
普通のパフォーマーは、この真剣な眼差しをまず見せない。考えているという行動は楽屋裏までにして、表に出さないものだ。しかし、新庄はこの楽屋裏を庶民の前に持ってきたのではないだろうか。マスコミも彼のふとした悲しげな表情を隠さずに写すし、本人もまたそれを恥じては居ない。もちろん受け止める庶民もまたごく自然に全体を観察している。
自分の町内の人気者を見ている視線と新庄というスターを見ている視線が同じ平面で交錯するという不思議な感覚に戸惑う。

しかし、そこにこそ新庄という生き方があるのではないだろうかといつも思う。才能がある人は多くいるし社会もまたそうした人物を期待する。しかしそうした面を見せないでいつしか身近な存在に思わせてしまう彼の生き方は、あるいはそこにこそ天賦の才があるのでは無かろうかとつくづく思うのである。

当たり前のようなお利口さんは社会に多いが、本当に記憶に残るパフォーマンスを見せるひとは少ししか居ない。作家も同じだ。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-31 00:12 | 冗舌亭日乗
2006年 10月 29日

高校履修漏れは大問題か

とにかく、ヒステリックと言う指摘が出来るほどすごい書き方だ。
高校での必修科目履修漏れだが、それほど重大な問題だろうか。
高校卒業と言っても、千差万別だ。
一流校を卒業した者もいれば、分数計算も出来ない高校卒業生もいる。
受験校が、予備校まがいの受験授業を密かに行っていたので問題だとするのは、それはそれで正論だが、かといってこの時期に貴重な時間を浪費するに等しい追加授業を課すのも酷ではないだろうか。
確かに一流高校の授業運営も落ちたものだとは言える。昔の高校では絶対にあり得ないことだが、残念なことに、今の世の中は大なり小なりずるい人間たちが幅をきかせている。少し要領の良い受験校なら今頃素知らぬ顔をして世界史をさらっとなぞっただけで履修したと言い張っているだろう。どちらにせよ中途半端なものだ。

高校の授業は確かにバランスが重要だが、人生に於いて必修科目漏れを抱えていたとしても理科系大学では学生の資質にそれほど重大な影響を与えると言うことではない。
必要ならいつでも勉強できるではないか。
形だけ世界史や倫理をなぞっただけで、人生にプラスになっているかどうかはかなり怪しい。

自分の経験では昔から形だけ退屈な授業を受けていても、柔らかい青春時代の頭には自然に染みこんでいると言うことは言える。ほとんど眠って聞いていた世界史や倫理の内容も有る程度そらんじている事も事実だ。しかしそれが絶対不可侵なものかというとそうとばかりもいえない。履修しているに越したことはないが履修しなかったことで決定的に劣っているとするのは間違いだ。

大学を卒業しても、全く別の分野を学ぶという人は非常に多くいる。ゼロから世界史や近現代史を学ぶ人も多い。数学が哲学だという学び方をやり直す人も多くいる。

第一に芸術科目を2年間履修しても絵も描けない、楽器も弾けない、書道も鑑賞できないという人間はかなり多くいる。これらの教養を身につけていない人がほとんどだ。
柔道や剣道や相撲のうち一つを格技として一年間習ってきたが、いまだに習った柔道の奥深さは興味があるがそれとて剣道でも相撲でも良かったと思っている。要は興味を持つに至るだけの境地に達したかあるいは礼節や逆境での剛健さなどを身につけたかということだろう。そういうことなら別の指導方法もある。

高校で学ぶことは人生のきわめて狭い範囲のことに過ぎない。卒業した後に自分はこうした分野を学んでいないという気持ちを持ち続け、人生のどこかでそれらを独学するか否かを決められる素養を身につけているかと言うことが重要なことだ。高校を卒業すると言うことはそうした見極めを出来る人間かどうかと言うことだ。そうした本質的な事を学ばせないで卒業させることの方が弊害は大きい。

しかし、この国の高等教育が幼児化しているという指摘はしておく。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-29 00:52 | 冗舌亭日乗
2006年 10月 22日

落選

第81回道展に落選した。
自分の限界と言うことが良く理解出来た。

大きな絵を描いていると様々な困難に突き当たる。
今までの自分は、画面の変な部分を直すことに躊躇すると言うことはなかったし、解決策とその後の効果をある程度見通す事が出来たが、100号クラスとなると少し様子が違う。
画面の隅々が色々気になるし、そこを直すべきことは分かっていても、最後は解決策とその効果が予測できないところまで来た。
作品を仕上げるということは全体の調和を整えることだ。

午前中に師匠に電話。お話をして少し気持ちが落ち着いた。
師匠は5月に道展を退会したそうだ。今回の審査には全く関与していない。
落ちても自分の独自性を追求する方が大事だとのご意見を賜る。
そのほかに色々なこれからのお話をした。
明鏡止水の心境で道展ホームページをそれでも発表時刻の15分前から閲覧する。すでにアクセスカウンターがどんどん上がっている。10分間で200くらい上がった。

結果は落選だったが、残念な気持ちはあるが一つのことに集中してやり遂げた事が収穫ではある。

『よく100号2枚も描いたな』という師匠の言葉が一番うれしかった。
自分でも暑い夏を乗り切ったという満足感がある。
こうして、自分を分かってくれる人がいると言うことが救いだ。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-22 15:32 | (七転八倒)制作記!
2006年 10月 20日

夕張へ…(4)

f0019379_23464438.jpg 道展の搬入が終わり、さて小林英吉氏の『草原』探索の旅を再開しようとしていた。
一昨日このブログを見ると、コメントに小林英吉氏の文字が記載されていた。
『草原』を所蔵しているとのニュースである。
連絡方法はコメントしかない。早速コメント欄に連絡方法の指示を仰ぐ内容の書き込みをした。

急展開というのはこのことを言うのだろう。
日中、自宅に電話が入った。所有しているのは英吉氏の御兄弟である。そのご子息からのものだった。
電話は妻が受けた。おおよその事情は妻もこのブログで読んで知っていた。

夜、帰宅した私に再度ご子息からご丁寧な電話連絡があった。
江別市大麻にご自宅があり、作品の保存室も備えておられるとのことであった。
小林家は家族の絆がとても強いと言うことはこの連載の2回目に書いた。やはりその見方は正しかったと思う。
作品を保存していることも幸いだったし、保存のための部屋を用意しているというのも大画家の親類としてはとても立派なことだと尊敬する。

電話で聞いたおおよその次第は次のようなものだった。

私がたびたび道新の梁井朗さんの主宰する『北海道美術ネット』にコメントを描き込んでいることを英吉氏のご長男のご子息が読んだことに始まる。リンクを読み進むうち『小林英吉』氏や『草原』というキーワードが目に止まったらしい。リンクをたどって私のブログに行き着いたと言う。
インターネットはこうした人とひとのつながりが出来る便利な道具である。

『草原』を巡っては数奇な巡り合わせが多くある。
小林英吉氏が満州から引き上げて最初に住んだのは赤平市豊里となっている。この経歴は夕張市美術館の源籐学芸員から送られた資料に記載されていた。豊里は私の妻の実家があった所である。人口の多い町だった様だが妻の実家はそこでは少し名の知れた家だったのであるいは当時の交流があったかも知れない。妻の亡父は趣味で絵を描く人で、赤平時代に小林氏とは多少の交流は有ったようである。
さらに、私の絵の師匠はご長男と交流があったことは前に聞いていた。
私と英吉氏の関係も末のご子息と友人であることで、何度かご自宅にお邪魔したこともある。
一枚の絵画作品を通じて様々な方々と一気につながりが出来た。
今回の『ヤマのグラフィック 炭鉱画家の鉱脈展』が大きなきっかけとなったことで源籐氏とも交流を持つことが出来た。
さらに、長く交流が途絶えていた友人とも連絡が取れた。

小林英吉氏が心血を注いで完成させた氏の群像の傑作、『草原』を媒介にしてこれほど多くの方々から作品の所在探しにご協力を頂いたことは、美術という分野を愛しているからだろう。
本当に心底から感謝している。

後日、作品を拝見にお邪魔するお約束をした。
三十数年を隔ててついに作品と再会することになる。(つづく)

※夕張市美術館が来年三月をもって閉館の危機にあるというニュースを知った。何とか残せないものだろうか。維持費は年間五百万円ほどだという。寄付を集めてでも維持できないかと知恵を絞っている。 美術ネット別館
[PR]

by kotendesky | 2006-10-20 00:37 | 小林英吉氏『草原』への旅
2006年 10月 17日

子供への愛

どんな親でも自分の子供はかわいい。
まっすぐに健康に育ってほしい。出来れば人より成績が良く皆に尊敬される様になってほしいと思う。
だから、躾をするし時には頭を殴るほど怒るものだ。
それでも、子供は親が好きだし親はそれを上回る愛情を注ぐ。

子供を育てると言うことは自分を高めることでもある。だからそれぞれの親は真剣に子育てに悩む。悩むことで親も成長する。
親子の関係は人には言えない恥ずかしい部分も多い。美しく幸せな事ばかりでもない。そんな恥ずかしい部分を信頼できる誰かに相談できる人は、今の世の中では幸せなのかも知れない。
しかし、成長した親経験者と成長中の『親現役』の交流が希薄になって来ると相談相手は身近な他人になってしまう。
この場合他人とは学校の教師である場合もあるし会社の同僚である場合もある。

子育てはお手本があるようで究極には百人百様だ。局面局面で判断するしか毎日が進まない。
子供を育てると言うことは『子供を育てる大人になること』でもある。子供は小さな大人ではないから大人の論理ばかりでも通じないがほとんどの対処は大人の論理で構わない。
絶対に犯させない部分を持っている親は必ず子供に尊敬されるだろう。

他人の痛みを感じない大人は子供にもそうした思いやりの心を伝えることは出来ないだろう。
小学生の高学年から中学生になると子供は精神と肉体のアンバランスに悩み苦しむ。さらに厳しい競争社会にさらされる大部分の中学生はそのストレスは昔の比ではない。そのような時にその自然な反抗心やギャング性を見ようとしないで対処を曖昧にしているとやがてはボタンの掛け違いが大きな影響を及ぼす。

学校の成績や学問と同時に人間的な真の成長も大切なものの一つだ。人間という存在を決定するのは色々の局面に対して確固とした信念を持っているのかと言うことではないだろうか。自分の能力ではどうにもならない悔しさや他人の良い面を素直に認めるという人間として基本の感覚を磨かなければそうした信念は獲得できない。自分の気持ちを相手に上手く伝えられないもどかしさを感じなければ相手もそうだという事に気づかずに過ぎる。そこに人間の知恵へ結びつく経験を積み重ねることはとても重要なことだ。

一部の大人社会が倫理を崩壊させ、優勝劣敗のような見にくい側面ばかりを見せるのはいつの世でも仕方のないことだが、そのすさんだ姿を見て『こうではいけないんだよな』という気持ちを普通の大人が少しでも抱かなければその社会は本当に崩壊してしまうのではないかと思う。
その時に自分の子供への愛ばかりを強調しても遅きに失するのではないだろうか。

案外今の世の中はそうかも知れないが、それでも子供の躾はテレビのコメンテーターが短時間で一言にまとめられるような単純なものではないし複雑だからこそ親や教師や当然の事ながら子供も悩み続けるものだ。
悩むことによって複雑で解決法のない人間成長への知恵が、子供自身の身に付くものではないだろうか。

多様であり抽象論しか提示できないはずのものを、あえて短時間で少しのキーワードで括るというテレビの怖さを視聴者は覚えておくべきだ。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-17 00:59 | 冗舌亭日乗
2006年 10月 14日

日本人だ…

f0019379_325464.jpg
f0019379_35254.jpg


向かって左はポッカ。右はダイドー。自分ではポッカが口に合っている感じがします。
この缶の栓を開けないで熱湯をしばらくちょろちょろと蛇口から浴びさせて、熱々の所をフィーフィーいいながらズズズっと…。頭を酷使した時に効きます(笑)。
絵を描いていると、とても甘いものがほしくなる時が多いですね私は。
でも、この缶入り汁粉は夏にはまず売っていません。おでん缶やスッポンスープは売っていても汁粉は売っていませんね。
冬の深夜に帰宅する時自販機で熱い奴を買い、コートのポケットに入れて歩くと懐炉にもなるという優れものです(笑)。

そう言えば、映画『フレンチコネクション』で、マフィアが食事する暖かそうなレストランを通りに立って張り込んでいるジーン・ハックマンが、同僚から熱いコーンスープのようなカップの差し入れを受ける場面がありました。ニューヨークの冬はとてもしばれます。
 そのシーンではひとくち付けて、両手で包み込んで次に口を付けて、しかめっ面をして残りを通りにジャアーっと捨てますね。あの気持ちはよく分かります。アメリカの標準的コーンスープは日本人から見るとコーンスターチの糊と大差はありません。
温かな上等のフィレステーキと屋台のカップスープ+外の吹きさらしの対比は上手く表現したものだと思います。
『卒業』のぶくぶくと音のする熱帯魚の水槽でヴェンジャミンの若き荒涼感を暗示したシーンと並ぶアメリカ映画の秀逸な表現の一つです。

話が逸れた。

汁粉は自販機缶飲料絶滅危惧種の一つだそうです。
日本人なら汁粉を飲めと言っても今のご時世にはムダなぼやきだと思いますが…
[PR]

by kotendesky | 2006-10-14 03:07 | 冗舌亭日乗
2006年 10月 14日

搬入準備

2枚の絵を搬入のため簡易梱包する。
手続きはすべて日通の代行サービスを頼んだ。
f0019379_2235464.jpg

自身での搬入は退職後にする。
搬入を休むのはまあよいとして、問題は選外搬出だ。短期間に2度休むのはしんどい。
では絶対入選する一枚だけ搬入するという事を考えればよいが、審査は他力本願である。自分では良いと思っても審査員が駄目だと言えばそれまでだ。

100号2枚を居間に並べると結構迫力である。
向かって左が「星置川堆雪」右が「冬の銭函海岸」
星置川には薄い氷のかかっているところに、日本画材料を最後の最後に効果的に使った。
これで入選なら良いのだが…
[PR]

by kotendesky | 2006-10-14 02:47 | (七転八倒)制作記!
2006年 10月 09日

本日の経過

f0019379_23172266.jpg

自分の今の力では、残念だがこの段階でいっぱいです。

下は部分。これで、小品が描けるかも知れませんね。
f0019379_0522654.jpg
f0019379_0523698.jpg

[PR]

by kotendesky | 2006-10-09 00:04 | (七転八倒)制作記!
2006年 10月 08日

ある作品

f0019379_0223080.jpg

アトリエの壁にこの絵が掛かっている。
何の飾りもない水彩画だ。
クレヨンで何色かの線を引き水彩で色づけしている。
タイトルは「冬」だ。

間に合わせに写真のフレームに押し込んでそのままになっている。

実はこの絵は2年前の冬に「さいとうギャラリー」で展示された際に購入したものだ。
正しくは、名寄市のあるグループの展示で気になったので、購入を申し出たところ、この作品は販売対象外とのことであきらめたものだ。
一週間ほど経っても作品が気になり、問い合わせ先に電話をした。
ちょうど絵の指導をしている方が居らしてその作品を購入できるかどうか描いた本人に聞いてみるとのことだった。
数日して、応諾の丁寧な書簡が自宅に届いた。
すぐに購入したことで、この絵は私のアトリエの壁に掛かることになった。

じつは、作者は重度知的障がいで同市の施設に入所している方だ。私とほとんど同い年だという。
Sさんと言う名を展示の時に聞いていた。

さきにも書いたがこの絵の題は「冬」となっている。
厳しい名寄の冬を窓の中から描いたものだろう。オレンジや緑のラインは部屋の暖房の揺らぎのようにも見える。
バックの黒やピンクやグレーの彩色は、窓外の木立か何かだろう。
あるいは冬という簡単に野外に出られないもどかしさの象徴かも知れない。
不思議と作者の穏やかな視線が冬の厳しさを観察する中から見えるようだ。

素直と言えばこれほど素直な絵はない。

多分「S」さんが手にしたであろう私の払った数千円は、彼の一生涯で自分の才覚で得た一番まとまった金額だろうと思う。


抽象形態は私の好きなジャンルのひとつだが、この絵の素直さに感動した私は、自分の作品に詰まった時、
「S」さん…と語りかける。
『駄目じゃないか、しっかりしろ』と答えてくれるような気がする。

作者と作品購入者という絆で全く見ず知らずの「S」さんと私は強く心が結ばれた。絵にはこうした力がある。
手放せない絵の一つだ。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-08 00:22 | 冗舌亭日乗
2006年 10月 04日

二点目です

今日現在の進行状況です。
f0019379_22294745.jpg

土手の上の木の部分をもう少し縮小することと空と一体感を出す必要があります。
しかし、イエローオーカーが乾かずストップしています。
今日あたり表面が指触乾燥して来ましたので明日は手を入れることが出来そうです。
下は部分拡大です。少し気に入っています。(師匠と同じと言われそうですが…)
f0019379_22264162.jpg

全体的には土手の雪の具合がもう少しきれいな流麗感にならなければなりません。
それと当然、雪の堆積した島の影の色を落とします

絵を仕上げると言うことは、私の場合その60%は消す作業です。
消すことも描くことというデッサンの基本が思い出されます。
[PR]

by kotendesky | 2006-10-04 22:26 | (七転八倒)制作記!