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2006年 09月 29日

ネット通販

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画材をネット通販で買うようになってから、かなり楽になった。
絵の具を使い切っても2,3日で届く。勤務が終わってからあたふたと画材屋さんに行かなくても良いというのは、本当に安心だ。

なじみのマルニ額縁画材店では、額縁類をまとめて買うので交渉で少しオマケしてもらえるようになった。
今回は次の個展のためにSMやF3をまとめて買った。最下位の品物より、少し高いけれど値引き分で安っぽくないものに変更出来た。ついでに今回の100号のアルミ仮枠も会員諸先生が使う面金付きのものに出来た。

世界堂では絵の具類を自分のカートに入れておいて、2,3万円になったら注文するので、常時在庫を絶やさないように出来る。在庫があるというのは気分が楽だ。ポイントで次回注文から自動的に割引にもなる。

最近は画材屋さんで直接買うのは筆と刷毛くらいかなあ。これらは見なければ買えないものだと思う。
筆類は自分の感覚に合わないものは本当に使いづらいものだからだ。
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by kotendesky | 2006-09-29 00:51 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 24日

何とか目処が…

つい1箇月前のアトリエの室温は32,3度あった。
それが昨日の室温は20度だった。
夜8時頃部屋にはいると絵の具の強烈な臭いがこもっていた。
強制換気装置のお陰で、一階の玄関を入った時にはそれほど気にならないが二階のアトリエに上がると木質スラブ構造のだだっ広い部屋はアルキド樹脂(油彩絵の具)の臭いがこもっている。
すでに揮発成分は大部分飛んでいるが、結構強烈だ。窓を開けて空気の流通を良くする。
風がすでに秋の冷気だ。
すぐに描き出すので気温はあまり気にならないが、仕上げ段階のこの頃は、観ている時間が長いので窓からの風が冷たく感じる。片側の窓を閉め、やがて反対側も閉める。
寒いので寒暖計を観ると20度しかない。
一ヶ月でこの変化だ。北海道の秋は早い。
本日の朝刊に大雪山旭岳の初冠雪のニュースが入っていた。
11月には日高静内の取材を予定している。

二枚目の目処が付いた。
もう一枚の仕上げに入る。
予定より随分と早いが、じっくりと観察する時間が持てるのは良いことだ。
今日の新日曜美術館(NHK教育)で大作は”長編小説”という言葉を聞いた。
確かにじっくり取り組む作品だ。
細かなミスも目立つ。
小さな作品だと案外全体の雰囲気で行けることが多いが、100号クラスだと細かなアラが目立つ。だからミリ単位の作業になる。彩度や明度も一度などは問題外。その5分の一のコントロールをする。
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まあ、良い絵だとそれで良いのですけれどね。
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by kotendesky | 2006-09-24 23:59 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 23日

道展の申し込みが返送されました

日本通運に搬入依頼するために現金書留を送ったら、
宛先不明で送り返されてきました。
問い合わせたら、現金は別の所に送れとのこと。
道展の出品規程にそのことは触れて居らず、記載してある住所に
送ったのに、現金は去年までの所だそうです。

作品は
〒060-0032
札幌市中央区北2条東12丁目
日本通運札幌西支店中央センター宛
電話011-631-1141
(担当須田剛史さん)

事前の申し込みのため、出品目録と現金書留
〒060-0010
札幌市中央区北10条西16丁目1-2
日本通運札幌西支店宛
電話011-631-1145
(担当須田剛史さん)

昨年までは両方記載してあったらしいが今年は一カ所の作品送付先しか記載されていないそうです。
みなさん、これから締め切りぎりぎりの申し込みとなります。
くれぐれもお間違えの無いように、老婆心ながら掲載した次第です。

忙しい仕事の昼休みに、郵便局に現金書留を出しに行くのですから2回はつらいよねえ。
とりあえず作品さえ無事に着けば現金は何とかなるでしょうが、あせります。

でも、担当の須田さんは親切な方でした。また、中央センターの電話にでられる女性の方も親切でした。
早めに申し込んでよかった。
ちなみに常連さんは2,3名の方が昨年までの西支店に現金書留を送って来たそうです。

初心者は色々学びます(笑)。
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by kotendesky | 2006-09-23 14:24 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 18日

秋はひそやかに…

2日間風邪で寝ていた。
今朝早く、ふと目覚めると部屋の窓から桜の木が見えた。
朝陽が横から差して木の葉を黄色く染めていた。所々赤い葉も混じっている。
秋はそこまで来ているのだろう。
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これから、最終仕上げに入ります。
空も、地上も最後のお化粧で相当印象が変わるはずです。
空は雲の動きが風でどんどん流されるようにもう少し動的にならなければなりません。
雪原はもう少し落とさなければ落ち着きません。
画面に大きな失策もあります。

最後の最後まで全体の意図が作者にしか分からないというのも絵を描くという行為の魅力でしょうね。
また、意図した結果とできあがりの印象がぴたっと一致する時が絵の醍醐味だと思います。
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by kotendesky | 2006-09-18 23:02 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 15日

何をやっていたのだろう…

自分は何をやっているのだろう。
絵が描けないと言うことは自分が描きたいものに迷いがあると言うことだろう。
前にも触れたが、ヤナイアキラさんの北海道美術ネットで、小樽の小川清さんの回顧展について論評していた。
少し引用しよう。

~~~
 その画風は、茶系の使用が目立つというほかは、とりたてて奇をてらったところのない、
ごくオーソドックスなものだ。
 また、転機といえるほどの、画風の変遷などもない。
 それが持ち味だからこそ、地元の雑誌の表紙などを、長年にわたって担当してきたのだろう。
 けっして美術の最先端にいるのではないが、そのマチの人に慕われ、
大衆的な人気を得る画家もいるのだ。
~~~~

ヤナイさんの本意はこの部分ではないが、この言い回しが誤解を与えるといけないので少し補足する。

私の知るところでは、小川さんは小樽の運河が3分の2くらいに縮小されると決まった時にも決して小樽をあきらめなかった。いや、生地小樽を愛してやまなかった。
運河が小樽の街の情緒のシムボルの一つであることは誰しも認めるが、それまで運河を描いてきた人の幾人かが、一時期他のモチーフを求めてフィールドを変えた。
そのような時代の流れの中で小川さんはマチの通りの美しさや屋根の連なりなどを独特の縦と横の鋭い区切り方で切り取ることを頑固にといって良いと思うがこだわりを持って描き続けた。
運河論争を巡っては多くの人々が悩み抜いたし少なくない人が挫折感を味わった。それほど小樽運河の埋め立ては小樽の将来を巡る一大事だったのだ。
いま、『観光小樽』が小樽と言うマチの未来にとって賢い選択だったのかどうかは早々に結論を出せないが、少なくとも通りを歩いていて台所の臭いや朝顔のツルが窓の格子に絡まるとかテレビの音や住人の会話が聞こえるという事は少ない。
窓がアルミとなりエアコンが普及して何処の家も通りに向かっていきなり家の中を覗かせるという開放感は感じない。

私の青春は東京の下町で過ごした。そこではかつての小樽のように入り組んだ小路の所々でシュミーズのばあさんが団扇で縁台に座っていたり、家の中から長唄や三味線の稽古をする音が聞こえてきたものだ。煙管でたばこを吸う人がまだ多くいた時代でもあった。
バターピーナッツを量り売りで売っていたのも懐かしい。

小樽も似た雰囲気があった。
私の母は小樽で少女時代を送った。富岡の教会で遊んだという話を随分と聞いて育った。
マッキンノさんの娘さんと友達で家に遊びに行ったと言うことも訊いたことがある。

そうした情緒といえると思うが、マチの呼吸がだんだんと消えてごく普通の地方都市に変貌することは小樽のひとにとって、はたして良かったのだろうか。部外者の私には結論が出せない。

小川清さんは私より14,5歳も年上だから私が高校生の頃は道展や一水会の新進の実力派として美術ペンか21ACTか道展の図録かは思い出せないが、特集が載ったこともある。ちょうど私の先生である木嶋良治さんと同年代だったのだろう。そのような訳で若い頃からあこがれの画家であった。
なにより、鋭く垂直の筆跡が画面を仕切り、水平の線や色面の区切りがピシッと直線であるところにこの画家の持ち味がある。
決して派手ではないがかといって渋い訳でもない。むしろどきっとするほど厳しい区切り方をすることに新鮮な刺激を受けたものだ。

小川さんは、そのままの境地で今日まで来た。
『何を描くか』や『描きたいのは何か』という言及はこの人には全く必要がない。
迷いがなく自然に描くことが小川さんの変わらない姿勢なのだと思う。

やはり風景を描くということは、画面を作ることではなく何を描きたいのかが明確に動機となって始まるものだと言うことに意を強くした。
そうした境地になってはじめて自然が描かせてくれるものだという基本的なことを自分は少し忘れていたのではないかと反省している。

北海道美術ネット別館『小川清展』
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by kotendesky | 2006-09-15 00:56 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 11日

描けない…

完全に煮詰まりました。
細部を描く段階になって、色を合わせるのに苦労する様になりました。
一つ気が付いたことは、約一ヶ月前に3年ほど使ったメガネを札幌駅で紛失し、ワイフにこっぴどく叱られ新しいメガネに買い換えたのですが、以前と同じフレーム、同じレンズにしたのですが、今ひとつ合わないのです。
それで、視力が一段と落ちたような気がするのもスランプの症状ですね。

今日は、ふてくされてさっきまで寝ていました。
そうして、Toledoさんのブログを覗き、ヤナイさんのブログを覗き、刺激を受けました。

明日からまた描くゾーという気になりましたが、仕上げ段階は一進一退でミリ単位の作業が続きます。色も僅かの狂いが画面の中で調和を乱します。
室温の差が激しいのもワニスの濃さを乱します。

こんなにびくびくしているのもスランプの症状だなあ。

今回の作品が終わったら秋の星置を描きます。
前進あるのみ…

個展の準備もします。
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by kotendesky | 2006-09-11 23:52 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 09日

矢崎勝美展  9月9日まで 時計台ギャラリー

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国際的に活躍中の矢崎勝美さんによる、恒例の時計台ギャラリーでの個展です。
今回も、オフセット+セリグラフ+デカルコマニー+エアブラシによる混合技法のすべての作品が『COSMOS』と題する版画です。

数年前からオフセット印刷のケント紙と思われる紙にマーブリングを施しさらに薄い調子のセリグラフィーを乗せる複雑な手法を用いています。
てっきり、セリグラフィーはグラデーションの部分だと思っていましたが、グラデーション部分はオフのようです。
オフ刷りの用紙をバットに張った水に浸ける(マーブリング)という冒険を作家は端から見るといとも簡単に行ってしまいます。
最近はその上に(半)透明の繰り返しパターンのセリグラフィーのインクを乗せるようです。
セリグラフは、天才刷り師佐藤浩二さんによるものと言われております。
水張りをするのかと思っていましたが、そうではないようです。
これ以上は作家の秘密でしょうから詳しく書けませんし、詳細はお話しもしてくださいません。
『うう~ん、まあ…』という具合です。
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ただ、スタジオにはセリグラフまでの未完成の紙を何種類かの組み合わせであらかじめ並べて、作品の出来上がり具合を眺めるという段階はあるようです。
スタジオの広い床にパターンの紙を並べた所は壮観です。

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大作の他に中程度の大きさの作品もあります。
こちらは一枚単位で仕上げることが出来そうです。

今展の特徴は、銀河を縦断するような十字の構図が全体のイメージだと思いました。

昨年は、文字通りデカルコマニー(転写)も併用していましたが、今回は以前のような手法に戻りました。

会場の入り口には今秋であろうパリでの個展の案内がフランス語で掲示されていました。
ますます海外活動で活躍する矢崎COSMOSは休むことを知りません。
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by kotendesky | 2006-09-09 03:26 | ギャラリー放浪記
2006年 09月 06日

大路 誠展  〔ギャラリーどらーる/9.1~30〕

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大路誠さんは広島市立大学大学院博士後期課程(造形芸術専攻)を修了した。
1976年大阪市生まれというから、今年で30歳になる。
2001年から6年間、銀座の東邦アート他で同大学の卒業生選抜展に出品し、どらーるの坂本社長の眼に止まった作家である。毎回必ず札幌からの芳名帳記名があるので不思議に思っていたところ、思いがけず今回の個展開催が決まったとのいきさつだそうだ。

大路さんは徹底したリアリズムの中にメッセージ性を吹き込み、観るものを飽きさせない力量の持ち主だ。
吉田豪介氏は個展の紹介文に次のように書かれた。
「…この深い静けさを演出しているのはテンペラと油彩の混合技法である。(中略)…彼が捉えようとする本質は、生きとし生けるものたちが宿命として抱え込む死生観だという。必ず訪れる死を嫌悪するのではなく、はかない生をいとおしむ時こそ美の感動が磨かれるというのだ。」

この文章で言っている作家の死生観は、むしろ生を賛美し、生と死の連綿と続くこの地上の物語の穏やかさ平明さをあえて抑えたタッチで物静かに語っていると思う。
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上から肖像(継承)P20、連鎖M50、肖像(影)P20である。
この3点の作品が壁の一面に左から順に並べてある。
文字通り連鎖は命のつながりである。
左に肖像(継承)の女性が居る。彼女は被爆者だという。継承という注釈はその年齢から考えて胎内被爆と推察されるが、作者はこの注釈に加えて女性の緊張した肩や手の組み方をあえてリアルに描いている。
もう一方の老男性が描かれている方は注釈が(影)となっている。彼が生きた人生の投影にあえて被爆現場写真の人影のように横向きの形象を用いている。
本来なら人物への光の当たり方からしてもう少し下方に影は出来そうだが、敢えて等身大とも言える部分にしかも濃い影を投影させている。
そこに、作者の意図する原爆への抗議が示されていると言う気がする。
あるいは作者はそのようなことを全く意図していないかも知れないが、強い影を肖像画につけたという点にこの絵画の目的があることは明白であろう。
この2点は所属していた研究室のプロジェクトで、毎年院生がヒロシマ被爆者の肖像画を描き、まとまった数を将来はアメリカで展示される企画のものだそうだ。
その中心にそのキャプション通りの絵がある。「連鎖」である。
時計が内臓をむき出しにされ、羽毛と貝殻が細い麻ひもでつながっている。
時計は明らかに現実世界を表象し羽毛は死あるいは霊魂を示し、貝殻は静寂を強調する。その棚を麻ひもがつなぐことで、作者は生命の継承のみが持つ武器への穏やかで無言の抗議を表したいのではないかと思える。
麻ひものリアリティーは、本質に迫ろうとしてむしろ本質を超越した存在の高みに達したのではないかとさえ思わせる。(下図=拡大)
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もう一点は「生命」F100である。(下は部分)
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この毛髪は0.1から0.2ミリほどの細い線だが、作者は執拗なまでに本質に迫ろうとしている。
髪は白、セピア、黒へと変化するが、本質に迫ろうとしてむしろ現実から一歩踏み出そうとしているようにさえ思わせる。本来なら若い女性の黒髪のしなやかさを描くところだが、毛先は観ようによっては老婆のものに見えるのは、時間の流れを意図したものだとしたら、この作者の慧眼はただ者ではないように思わせる。
その他、花葬(S30)、水源(M30)、朧月(S30)も佳作である。

(画像は許可を得て撮影したものである)
その他の画像
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by kotendesky | 2006-09-06 04:24 | ギャラリー放浪記
2006年 09月 06日

本日の結果

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試行錯誤の連続です。
それなりに細部を描いています。
8月中に100号2枚の目処が立って、一安心です。
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by kotendesky | 2006-09-06 02:35 | (七転八倒)制作記!
2006年 09月 06日

夕張へ…(3)

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友人は、あるデザイン事務所の代表でありクリエーティブディレクターという地位にあった。
Yahoo japanで、セカンドライフのブログも書いている。
ファッション業界関係のデザインを数多く手がけ、総合美容サロンの店舗やコンセプトの立案や最近ではメンズサロンの企画運営会社の役員も兼ねているとの紹介だ。

あのバブル後の地獄を生き抜いた経営手腕に驚かされる。

いきなり
「写真をやっているか」
と訊いてきた。
写真は実用のものしか撮らないが、商売は写真とは切れない画像診断だ。が、しかしいわゆる世間で言うスチールとは違う。
友人が訊きたかったのはカメラを今でも離さず持ち歩いているかという意味だ。

あの頃、私はモノクロのプリントに凝っていた。当時住んでいた個人病院内にある一軒家の二階をすべて使っていたので、昼間でも暗室が使えた。
引き伸ばし機も、バットも薬品もいつでも自由に使える環境にあった。まだ、RCプリントが一般化する前だったので乾燥機もフェロタイプのものがあった。
こいつは電気食いで乏しい容量の安全器(ブレーカーの前のタイプ=ヒューズボックス)が幾度も飛んだ。

私はニコマートしか持っていなかったが、友人はF2を買った。
新宿のヨドバシとさくらやで何回か値段を交渉し、新宿西口本店で50ミリF1.4付きを私と一緒に行って買った。
そのカメラを私の『病院の家』に持って帰り、当時住んでいた自由が丘の彼のアパートにはその晩遅くに帰った。

その頃の金はなかったが若かった自由な時代が二人とも頭に浮かんだに違いない。
「発泡スチロールは捨てるなよ」
「質屋には箱付きでないと入れられないぞ」
といいながら金色の箱から二人で丁寧に取り出した。
友人は、私に向けて記念すべきシャッターを切った。
125だろうか、シュバッ、コロっというダンパー付きチタン幕シャッターの乾いた独特の音で私は彼のカメラの被写体一号となった。

現在、ファッションフォトグラファーとしても海外モデル撮りもこなす一流の腕を持つ彼に、今度スーツを着て撮ってもらおうと思っている。ダンヒルやブルガリのネクタイも何本か取り替えて、ぴたりと身体にあった谷のワイシャツと三越のオーダースーツを着て、靴は銀座YOSHINO-YAである 。
まさに50代のメトロセクシャルなモデルとして今の彼なら思いもかけない切り口で写してくれることだろう。

何せ、カメラ代を一部貸している。30年の利息を考えればそのくらいお安いもののはずである。
しかも、写真のあれこれを教えたのだから…

(つづく)
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by kotendesky | 2006-09-06 02:19 | 小林英吉氏『草原』への旅