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カテゴリ:ギャラリー放浪記( 50 )


2011年 06月 30日

第35回豊かなくらしをつくる作品展

札幌市民ギャラリー全館
7月3日日曜日まで開催中

ことしも「連合北海道賞」をいただきました。

一線展関係者では鈴木利枝子氏主宰の華陽会の皆さんが大挙して出品いただきました。
一線展関係では永田このえさんの作品も出品されています。

おなじみの林正重さん鈴木喜景さんなども出品されています。

筆者一番のお気に入りは妹尾武二さんの「追憶」
娘さんでしょうか、清楚な横顔と折り鶴と玩具などが風景のなかに浮遊している幻想的な心象を
描いています。
いろいろなドラマがあったものでしょう。15号ほどのキャンバスに控えめなタッチで思いを
表現しています。ぐっと胸に沁みるものがあり、しばらく作品の前で動けませんでした。
本当に心を動かす作品というのはこのようなものでしょう。

絵はやはり作者の内面を深く掘り下げた情感の表現が出てくるのだと理解できます。
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by kotendesky | 2011-06-30 23:00 | ギャラリー放浪記
2011年 03月 17日

山本雄三  <祈り>2009独立展

祈り-温もりに包まれて

この絵を解釈する上でキリスト教の絵画におけるシンボルを知っているとより意味が理解できる。
この絵の最大の特徴はパネルの四隅を小さなパネルで仕切り、全体を十字にしつらえている。
四隅の小さなパネルはキリスト教で重要な意味をもつ鳩の飛翔であり言うまでもなく平和の象徴あるいは
祝福の意味である。その示す先は女性の体の中心であり同時に画面の真の中心である。
画面の左右の百合は純潔を表す白い花が描かれており、向かって右は開花状態で左は少し枯れた状態である。
赤子のためのゆりかごの中のリンゴは描かれるシチュエーションにより意味が異なるようだが、この場合は
赤い色と置かれた場所からすると祝福あるいは幸福を表すものだろう。
中央の女性は懐妊しており新しい生命を慈しみ誕生を待ち望んでいる。少しの不安をはらんで…

シンボルが表す意味は説明的で直截の度合いが強くそのままの解釈で良いと思うが、
全体の背景は暗く沈んでいる。その意味は不安な世の中にあり、その中から新しい誕生を待ち望む
希望の意味合いが強い。
基材は綿布で、ジェルメディウムで固着されており画材はミクスドメディアとなっているからアクリルの上に
油彩を施しているものだろう。
左右の百合を受け持つのは描かれた限界の台座である。この描き方も画題のはかなさと不安さを
意味するものだろう。

絵画表現というものは作品の全体を貫く主調を軸にその意味を強化して行く作業だから誕生をとりまく
祝福の表現をとおしてタイトルになったものと思われる。

この絵は2009年の損保ジャパン秀作賞を受賞した。

なお、この作品はパネルまでが作品ではなく周囲の箱形の枠までが作品である。
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by kotendesky | 2011-03-17 20:34 | ギャラリー放浪記
2010年 08月 09日

伊藤光悦「地平の光景」

2010年7月26日-8月15日  STVエントランスアート(STV北二条ビル1階)


伊藤光悦さんは、夕張市に生まれ栗沢町美流渡(みると)というところで育った。

夕張市本町の北側に国道をたどってゆくと旧万字炭礦、旧美流渡炭礦の跡地に残る町に出る。
かつて筆者は南大夕張という炭礦病院に勤めたことがあり、そのときすでに閉山していた大夕張という町の旧市街を観て歩いたものである。
大夕張を北の方に山道をたどるとこんどは最終的に旧奔別炭礦、旧三笠炭礦さらに芦別に出る。
つまり、この一帯は空知炭田というたいへん大きなテリトリーの一角であるということになる。

伊藤光悦さんは美流渡という山深く美しい町で少年時代を送ったのだろう。
何年か前の道展図録に山川真一さんが美流渡の紅葉は視界のすべてが赤やピンクや黄色あるいは茶色になることを言い、遠くから紅葉を眺めるのとは違うという趣旨で書いておられた。
山川真一さんの数年前の作品を理解する上でこれは大きな要素である。
確かに炭山の晩秋はきわめて近いところにある。
徳丸滋さんも場面は違うが、日勝峠やニセコのそういった自然を別の切り口でもって表現する。


話が少しくそれたが、伊藤光悦さんはしばらく前まで、旧炭礦の施設を多く描いた。
その中に手術室を描いたものがあり、壁の片面が円形の珍しいものがあったが、おそらくそれは
大夕張病院の手術室から材を得たものと思われる。
あの病院は重厚で大きな建物であり、手術室も勤めていた医師などの職員もハイカラでモダンだったという。
そう、昔の大手の炭礦は札幌より文化の度合いが高く、札幌より教育水準が高く、給料も物価も高かったとい
う。小学校の一学年が十何クラスといえば、そこの校長がどれだけの見識を持った人物だったかは容易に
想像できよう。
少し近い例では筑波大学が出来た時のつくば市の変貌を思えばよい。小学生のIQ平均が120弱という
信じられないものだ。

あるいは、集合住宅の「過疎化」。
あるいは、飛行機の飛ばなくなった放棄されたような飛行場の滑走路。
あるいは、砂漠地帯での戦争を彷彿させるような光景。
あるいは、難民を想起させる人物。
あるいは、北方領土の光景。
あるいは、墜落して朽ちかけた飛行機。
あるいは、壊される危うい自然を象徴する鯨。

そういったものを意識して描きそうしてきわめて静かに警鐘を鳴らす。
そのスタートがもしかして巨大な産業であった炭礦というものの終焉を描くことで
人間社会の持っている流転という抗いがたい現実に目を向けてきたのではないだろうか。

こうして伊藤さんの航跡をたどってみると絵という手段でもって描いた現代のルポルタージュではないか
という気がする。
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by kotendesky | 2010-08-09 22:22 | ギャラリー放浪記
2010年 07月 14日

瀬川葉子展『記憶に沈んだ庭』

『軌跡』という言葉はあるいはこういうことを指すものなのかもしれない。
瀬川葉子さんの個展を観て、ひとりの美術作家の変遷あるいは作品のたどってきた変貌というような感覚を抱いた。
瀬川さんは教育大特美を卒業して、若くして道展を中心に才能を開花させた作家である。
筆者は道展での作品しか知らないが、新人賞を得て協会賞を獲得するまで順調に伸びてきた作家であったように思う。
あるいは、道展のレールというものがあるとしたら、きわめてなめらかに会員までの本線上をたどってきたと言える。(道展はその後退会した)

モチーフはフリーハンドの曲線あるいは円弧の集積であり、抽象であっても決して絵画の面白味あるいは美術作品から得られる品格というものを裏切らない、作品としてのまとめ方をわきまえた作家である。
                 ◇
筆者は30数年前に札幌美術学園の夏期講習から引き続いて通学するようになり、瀬川さんとは同じ時期にデッサン室に通っていたのだが、交流はなかった。
当時札美は夜間のコースがあり、所属するコース以外に日中も通って良いと言われていた。
美術学園に通う生徒は大まかに言って3つのタイプがあり、昼から何となくアトリエにいて他人のデッサンを観ることの方が多い者、授業を抜け出して数人で外に遊びに行く者、毎日決まったように来て凝縮した2時間をデッサンに打ち込む者である。
筆者は1番目か2番目のタイプであり、瀬川さんは3番目のタイプである。
当然、デッサンはうまくおそらく10番以内に位置していたように思う。それは受験の際にも同じであり彼女は悠々と合格した。
                 ◇
そのことを瀬川さんに話すと、『そういう時期もありましたねえ』とこちらの意図を計りかねるというように静かに答えられた。
それほど華々しく宣伝をしたわけではないのだろう、今回の個展は瀬川さんにとっては北海道での新たなスタートなのかどうかを知ることは出来ないが、何となく自分自身のために開いたもののように思えた。
                 ◇◇
コンチネンタルギャラリーのA,B両室を使って、A4あるいはB4変形の紙を支持体にしたアクリルでの抽象を様々な組み合わせで部屋全体を構成した。
多くは透明アクリルのフレームに納められており、入って一番奥の壁全部をつかって紙を直接ピン留めにしてやや大型の構成をしている。
北海道美術ネットの一番下の写真がそれだ。
その中心に、スパイラルでコップ状あるいはロート状に描いた図形があり、おそらくその形状が今回彼女が行き着いた主題の総括であると思う。
2,3目立ったスパイラルの線描があり、いずれの作品も他より優れているので話題にしたら『吸い込むような雰囲気が気に入った』というような趣旨で答えられたと思う。

紙はコート紙やケント紙のようだが、様々な用紙を使っているとのこと。
ほかのマテリアルはホットボンド(ヒーティンググルー)、アクリル、水性マーカー、油性マーカー、パステル、さらにはデコパージュに使用する材料も使っているということだ。非常に美しい銅色をした細い線があり、印象が強いので質問するとアクリルでは印象が弱いがデコパージュだと強く描けるということだった。

小さな作品のことをあえて尋ねると『机の上でも出来る』という理由からだそうだ。

公募展を中心に生活していると、絵を描くと言うことが巨大な作業となり広い場所、モノ、時間の配分に苦労ばかりして、なかなか思ったような活動は出来ないが、机の上で出来る作品という枠をあえて当てはめて広い世界を創る修練を忘れないというような気にさせられた。



画像は北海道美術ネットの記事を参照してください。


コンチネンタルギャラリー(2010年6月29日~7月11日)=終了
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by kotendesky | 2010-07-14 23:17 | ギャラリー放浪記
2010年 05月 25日

一線展北海道支部2010作品


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by kotendesky | 2010-05-25 00:13 | ギャラリー放浪記
2009年 09月 13日

栃内忠男さん死去

栃内忠男さんが9月10日に亡くなられた。ここ数年は独立美術などに窓をテーマにした作品を出品されていた。
不自由な片方の目を大事にされて優れた独特の半具象世界を永く追求された。最後は次第に失われゆく視力を自己の内面から世界を射抜くようなすごみある絵画だった。見事な最後の仕事である…

先週の初めだから多分9月8日頃だろう。必要があって机の上を整理した。積み重ねた書類から一枚のリーフレットを見つけた。前から探していた玄の会の開催告知である。
紹介に荒巻義雄さんが名文を寄せている。
少し長くなるが追悼の意味を込めて全文を掲載しておく。


『七人の侍たち』 
 

荒巻義雄 作家・札幌時計台ギャラリー代表

 

久しぶりに開いたファイルの中で、壁を背に一列に並んだ<玄の会>の"七人の侍"の
写真を見つけた。
写真は向かって左から、坂担道さん、栃内忠男さん、本田明二さん、伊東将夫さん、
亀山良雄さん、砂田友冶さん、小谷博貞さんで栃内さんを除くみなさんは、すでに鬼籍に入られた。いずれも、世代的には戦争体験者であり激動の戦後を生き抜いてきた大正生まれだが、
なんと男臭い人たちだろう。
<玄の会>の旗揚げは昭和52年10月4日。第一回展は53年10月23日から28日まで
札幌時計台ギャラリーで開催された。以来、昭和62年までに最初の予定通り10回行われた。
最初の年の平均年齢が60歳だったそうだから、まさに創造者としてもっとも充実した時代であり、この同志的な展覧会に多くの後進たちが影響された。
七人は明治と昭和に挟まれ、戦争の渦中にも放り込まれた割の悪い世代である。

しかし<玄の会>の玄は玄人の玄、また黒と北をも意味するのだ。
本郷新さんの命名だそうだが、うがって読み解けば、プロの自負心、戦争の暗さを喪す黒、
そして北方性を意味している。
十字構図の伊東さんからはグレーの美しさを教えられた。同時にこの色は、
絶望を超え浄化された魂の色でもある。
亀山さんの絵の秘密、そこには輸送船撃沈による漂流体験が意識下にある。
無残な死を直視した者だけが知る鎮魂の詩だ。
小谷さんもまた凍土の立棺に祈りを捧げながら、限りなく明晰な精神の色に近付く。
砂田さんは輪郭の画家だ。輪郭によって充実した人体が手をつなげば、強固な家族の絆となる。
栃内さんは年とともにますます造形の根源に迫り、存在の秘密を探すたびをつづける。
坂さんは決してロマンティシズムだけの作家ではない。
精神が魂の造形へ凝縮する存在の変成作用が感じられる。
本田さんもフォルムにこだわりつづけた。独特のリリシズムが決して甘くならない造形力の厳しさ。本田さんがほんとうに求めていたのは、彫刻本体ではなく、
彫刻が周囲へ及ぼす空間の変成作用、その四大の一つ、風であったように思われる。


みなさんが思索する作家であった。時代の重さを担いつつ、生き残った者たち、
逝ってしまった者たちへの祈り、そこから生き残った意味を問いつづけた人たちであった。
北海道の美術界に与えた<玄の会>の影響力は、極めて大きかったのである。
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(註:「玄の会Vol.11」は2004年5月25日~9月30日本田明二ギャラリーで開催)
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by kotendesky | 2009-09-13 23:01 | ギャラリー放浪記
2009年 04月 05日

本田滋絵画展  品品法邑ギャラリー

4月9日まで開催中

『風の彩-絵・空・間』

100号から3号まで40号、20号が中心
本田さんらしい明るい色彩の町並みを抽象化した具象系絵画が中心です。

凍てついた朝の水たまりから着想を得た凍・氷葉、輝・氷葉が面白い。

筆者ははじめて本格的なギャラリーで本田さんの絵を見ました。
やはり絵を描く志が確かな作家だと確信しました。
真面目な人柄から温かく日常の風景を観察し空気感を感じさせる佳作。
北海道内での評価より東京での評価の方が高いのではないかという気がします。
本格的な作品は水準が高いと思いました。

日輝会会員
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by kotendesky | 2009-04-05 03:04 | ギャラリー放浪記
2008年 11月 30日

TOKIO&年末

実際にこの目で観たいと思っている作家が多い。
そして、働いているとその機会を逃すと二度と観られないかと思うことも多い。
言うまでもなく、作品は印刷でなくインターネットでもなく実際に観てみないと真髄に近づくことは出来ない。

以前から予定していた約束があり、東京で用事を済ませてきた。

アンドリュー・ワイエス展をどうしても観る必要があり、渋谷に行ってきた。
そして、その足で横浜の関内まで蔡國華さんの個展を観てきた。
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明日は、仕事が順調ならスケジュールがある。
その次の日は当番のため自宅待機だ。
絵も描かなくてはならない。
師走に入る。忙しさは相変わらずのようだ。
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写真は、銀座にある、トリコロール本社(本店)二階の野田弘志さんの静物だ。20号くらいの油彩だ。
数ヶ月前にそのことを知り、上京したら実際に足を運ぶ予定でいた。
京橋の金井画廊では鷲森秀樹さんの個展が開かれていた。
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by kotendesky | 2008-11-30 22:58 | ギャラリー放浪記
2008年 07月 27日

日曜が駄目なら…

本日の日曜日は仕事。
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前日の土曜日は小樽の潮祭りの中日だったが、小樽美術館へ。
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伊藤正展を見てきた。
芸術の森美術館に所蔵の作品は木製の仮枠の痛みが激しかったのか、
今回用意したであろうアルミ仮縁に入っていたが、作品がかわいそうなくらい安い
仮縁だった。いつも思うが、既存の作品の額縁の寄付を呼びかけてもこう言うときなら
篤志が集まると思う。
野外展示の彫刻を手入れする民間プロジェクトがあるくらいだから、所蔵美術品の
額装を更新する基金を作っても良いと思うが…

まあ、余計なお世話かも知れないが、文化を残そうとするなら市民の篤志を募って
次代に引き継ぐという発想にならなければ本当の文化は根付かない。
これは美術に関係する我々が試されている問題かも知れないが…

なお、関連事業として「伊藤正の画業と戦後北海道の画壇」というテーマで8月9日(土)
13時30分から吉田豪介氏の講演が予定されている。

戦後北海道画壇に関連するが第一回全道展に伊藤正さんが出品していたのは
今回初めて知ったことである。
全道展は普通に考えられている袂分かれという図式でなく、少なくとも第一回展は
戦後北海道画壇の統一あるいは北海道画壇の戦後処理という意味合いから結集した
と考えるのが妥当なような気がするが、そのスタートにこそ伊藤正さんが積極的に加わった
というのが真相だろう。
その後分裂したというのが定説になっている。

美術館を出ると夏の日差しがまぶしかったが、ポプラが剪定されて低くなっていた。
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06年8月と比べると相当に縮んだ。
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老木だから倒木の危険もあるしね。
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by kotendesky | 2008-07-27 21:18 | ギャラリー放浪記
2008年 06月 09日

近づかないに限る(改訂)

何に近づかないかは、分かるでしょう。
奇っ怪な衣装、奇っ怪な化粧、奇っ怪な踊り…
んなものは札幌市民は好みませんよ。

で、近美の北海道の水彩画と常設ギャラリーへ。

繁野三郎さんはじめ北海道の水彩画を筆者は、軽快早描きと思っていたが
そう決めつけるのは間違いだった。
重厚な色の重ね方から推察するに早描きではとうていなしえない作品だ。

今回、私の学生時代に道展に出していた円山公園を色彩豊かに現した
秋の情景なども、絵を描かない人は分からないかも知れないが、重厚な色を
一発で置いたのではなく(もちろんその部分もあるが)考えながら重ねたものだ。
色を置く前に別の紙で試行錯誤して最後に描いたものだと見て取れる。

白江正夫さんの『さいはて(道北)』はぜひきちんとした保管場所で永久保管して欲しい。
やっとクーラーがついただけの小樽美術館の作品保管庫では不安だ。
出来れば、各地の美術館が共同で作品保管場所を確保して欲しい。

家の近くの稲西高校が統合するので、多分売却方針だろうから
そのあと利用として改修し使用するよう知事や道議会議員さんは考えて欲しいなあ。

学校の設備は教室が独立しているので保管庫としては整理しやすく使いやすいはずだ。
何より建物がまだ新しいので改修費用も安くつく。
小樽美術館や夕張市美術館の作品を保管するにしても、
貴重なコレクションを保管するのは財政的に相当な無理がある。
道が廉価な使用料金で公的美術館に収蔵庫をレンタルするのなら
税金の有効な使い方だろう。こうすれば、各地の美術館が法人化したとき
作品の所有移転も防げる。目録も整備できるし。

近美の作品鑑賞中、ワイフは小説片手にカフェ市田でゆっくりコーヒーを飲んでいたことは
うらやましい。
その後、宮の森の秘密のお蕎麦を堪能し、リフレッシュした休日だった。

夜、キャンバスに下地を施した。今回はアクリル下地だけで堅牢にして4回くらい重ねる予定。

<不穏当な表現がかなりあったので改訂しました>(本音でしたけどね)
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by kotendesky | 2008-06-09 01:14 | ギャラリー放浪記