2008年 12月 22日

小樽美術館の分厚い塀のこと

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     国画会会友で全道展会員の山下脩馬さんが、道新後志版などでここ数年に著したコラムがある同人雑誌にまとめて掲載された。
その中で、『小樽美術館の塀について』という興味深い記述があったので紹介しておく。
ご存じの通り、市立小樽美術館の旧手宮線に面する敷地境界にはコンクリートの堅固な分厚い塀がめぐらされている。プラットホームに出入りする木戸口だったと思われる開口部があり窓のようなガラス入りの明かり取りが連なっている。
旧来の日本家屋の塀とは違ったモダンな作りだ。敷地の南東側角にはポプラの古木もあり二、三年前までは高くそびえて独特の景観を作っていた。
山下さんはこう書く。

『…市立美術館は昔からあの地に存在していると思っている人が多いが、そんなに古い建物ではない。あの場所には元々は藤山要吉氏(1851-1938)の邸宅があったのである。
 あの塀もポプラの木も藤山邸の一部であった。昭和25,6年の頃に国に没収され、すぐに邸宅は取り壊され、更地となり、郵政省に引き継がれて貯金局の庁舎が昭和27年建築された。版画家の一原有徳さんがこの庁舎で勤務されていたことはよく知られている。』

     藤山氏は第一次世界大戦前から藤山海運で回船業により財をなし、さらに金融業など幅広い経済活動をしたほか小樽高等商業学校、市立公会堂の設立時に多大な寄付を行い小樽市のためにその他にも多大な寄付貢献をしたとされている。
しかし、第二次大戦で多量の船舶を徴用され戦後の混乱期を乗り切れず程なく倒産した。戦後敷地が没収されたとあるのは、『…おそらく税金をめぐるトラブルがあったのだろう』(山下氏)と思われる。
税金は国税庁の管轄であり没収後の資産は国に移管され国の機関である郵政省の庁舎敷地として転用されたのも戦後の北のウォール街を形成する上で都合の良い場所にあったためであろう。

後年、『貯金局は最上町に新築移転され、残った庁舎は小樽市に引き継がれ市立美術館となった。あの塀とポプラの木の所有者は小樽市となっている。』(同氏)

     国から市に返還された形ではあれ、現在の市立美術館にも記されていないので、藤山氏の邸宅はどのようなものであったかは分からないが、あの塀の高さや厚さ、さらには現在の建物と不釣り合いなほどの堅牢さは外部からの侵入者あるいは機関車の火の粉から邸宅を守るために充分なものだったろう。その意味で来歴とともに歴史的に記録保存したいものである。
手宮線駅のプラットホームへの出入り口は鉄道輸送が当たり前の当時の邸宅で必要な生活物資の搬入出や取引商人などの出入りに便利なように作られていたと思われるが、今となっては詳しく語れる人は少ない。
    藤山邸の没収の際その『藤山邸を歴史的建造物として残す方向の議論は全くなされた気配はない』と山下さんは残念だという意味で述べている。

この話は平成20年6月に後志版に掲載された。
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by kotendesky | 2008-12-22 00:39 | 冗舌亭日乗


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