2008年 06月 21日

孤独な格闘技 3年目

自分自身が相手の格闘技を続けている。
昨年は、両親の相次ぐ他界、職場の移転統合、人事異動と仕事内容の激変の中で作品を描いた。
途中でもう駄目だと思う日も何度もあったが、なんとか投げ出さずに一枚の絵を描いた。
小品を描くことも仕事だが、大作を描くことは最も重要な仕事だ。

作家という商売は儲かると言うこととは無縁だと思う。
私は幸い日々の職業にサラリーマンを選んだ。だから職業はサラリーマンだ。
しかしライフワークは作家であり、二足のわらじを履いているとも言う。
決して楽な生活ではないが何とか作家活動を続けられるのは辛抱が身に付いているからだろう。

絵を描くと言うこともまた辛抱との長いつきあいだ。
一日に直線一本も描けないこともある。薄い色を重ねることでわずかな画面の調子を整えることは日常的である。
素人が観たら昨日も今日も同じ画面に見えるだろうが作家の目には昨日と今日は大いに違う。
それほど絵画という作品は微妙でかつデリケートなコントロールが必須の芸術なのだ。
絵を描いてきて絵の具の乾燥を待ちながら仕事を効率的に進めるという智恵を身につけた。
合理的でスピードだけを追求するのなら雰囲気で適当に描けばよいのだろうが、そういう作品に意味を見いだせない不器用な私は一日のわずかな積み重ねを自分に課してわずかな絵の具の重ね合いが調子を整えて行くという目を獲得してきた。

その観察眼は実社会での仕事にも活かされている。
大きな意味では、小さな困難を克服する効率的な手順の運用が差し迫った問題解決に活かされている。
実社会での仕事も作家生活での課題克服も相互にリンクしながら自分に揺るぎない決断力を獲得するために役立っていると言える。

今年のテーマは『壇』である。「だん」と読む。
人生には色々な壇に登らなくてはならない時がある。
卒業式、結婚式、表彰式そして最後は葬式だろう。
しかし、壇というのは、本来次の高みに登るための舞台装置でありわかりやすい象徴でもある。
壇に登れば責任が生じ正義を重んじ悪行を犯さないという決意を要求される。
その重圧に負ける人は本来壇に登ってはいけない人なのだ。

唐招提寺の戒壇は神々しく人を寄せ付けない威厳に満ちた世の中から隔絶された空間を形成している。
それを結界と表現し、高僧になるためには戒壇に登り授戒会で僧衣を授かる。

人生の中には高僧とまでは行かなくとも、ある高みに登る必要がある場合が幾度もある。
その壇を人生の中で気づくかどうかがその人の真の価値なのである。
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by kotendesky | 2008-06-21 04:13 | (七転八倒)制作記!


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