(ときどき)個展deスカイ!

kotendesky.exblog.jp
ブログトップ
2008年 01月 17日

『センタンデ サスワササレルワ ソラエエワ』

ああこの形而上が私であって形而下がわたしであるのなら、つまりここ!!この形而中であることのこのわたくし!!このこれのなんやかや…

ってー別に『栄通さん』の文章じゃないけど(笑)、芥川賞作家川上未映子さんの文章の一部であるけれど、この作家の名前を僕は雑誌広告批評一月號で偶然に眼にして、まあ大ざっぱにざっくばらんにヒラタク自慢げに書くと『注目』していたんだけれど、あっさり芥川賞取ってしまうんですねえ。

で、この人の文章ってーのは桑田佳祐が愛しのエリーを皮切りにデビューして結局今日の「つんく」にまで連なる楽曲と言われる歌詞作りにつながっているとも言えるしそうでないとも言えるわけだが、まあ小革命のような所であってそうでもないのないのかも知れないが、日本語の姿形が変わって来ているのですねえ。

で、偶然というかある意味決まっていたのだけれども広辞苑が新しくなってさいきんの日本語が追記されて収録されたわけだけれども、広辞苑というのが日本語の破壊もしくは言葉使いの破戒につながっている面もないわけではない。というかそーいう考えも出来なくはないみたいなー。

辞書というものが正しい日本語の記録物かというとそうではないのが辞書であってつまり辞書は世間の言葉の記録物にすぎないという当たり前の結論に至ったわけだけれども、すくなくとも広辞苑がビジネス文書や公用文や新聞の記事文章に与える影響は大きいのだからこれからの日本語はまあ、これまでの日本語でないといえば言えるし、これまでの日本語の系譜に連なるモノだとも言える。

ゲストの角福大三さんと丸橋本雄さんとそれに司会の新田八目さん生田六田子さんの4人の対談というシンブン紙の記事にぶつかると思わず便所の窓から身投げしたくなるけれど…  まあなんぼ身があっても足りんわね。

言葉だから生きていて書き手は死んでも死んだ言葉は無いわけだけれども、生きていればいいってーモンじゃーないのじゃないカネ。
生きていれば努力もしないでケータイのメールばかり読んでいるヤツも学校で哲学を真剣にお経みたいな教授が正しいと信じ込んで勤勉に習っているヤツも、無駄な読書は馬鹿のやることと信じて読書などしないヤツも昼寝は哲学であると主張して居眠りばかりしている貴重なアホも、人間は考える葦であるというのは間違いで、アシは歩くモノだから葦と足は本質的に同義でありつまるところ足で考えるのはやはり人間の本質かというとやはり本質は赤福のアンコにあり、決して冷凍などしてはならぬと言うつまらぬ結論に至るヤツも、まあ後半はほとんど自分のことだけれども、結局の所生きているのだから同じように扱われなくてはならぬと言う根底の偽らぬ『哲学的』基本的人権の思想も、役所が横一列が良いと言えばそうかあと思うヤツも役所が個性のない個人の集団で将来の本質的な社会のありようつまり理想的な推計ないしは推論の出来ないヤツが幅をきかせていると、まあこの世はそんなヤツらを大勢ステレオタイプにハンコぺたぺた押したように世の中に送り出すことを恥と思わない文化が普遍化するだけのことであるのだなあ。

こうやって書けば障がい者は社会のお荷物かという極端なことをつっこんでくるヤツもいるがそれとこれとは次元が違うのを平気で同じ次元で議論しようとするから薄っぺらなアーティストと自称するヤツにカネを払わなければならん羽目になるのだよ。

まあ、戦後の日本は多かれ少なかれこんなもんだよ。
ようするにタイトルにもあるけれど『先端で刺すわ刺されるわそらええわ』ねん。
[PR]

by kotendesky | 2008-01-17 22:19 | 冗舌亭日乗


<< 日本口語訳   『センタンデ ...      みなもの会新春日本画展の私的メモ >>