2007年 08月 13日

深刻な …悩み

絵を描くと言うことには色々なスタンスがあって良いと思うが、自分の個展を開いたり公募展に応募したり一応美術文化のうえで『主張』や『哲学』の意味づけをしようとするとオリジナリティーという裏付けをしなくてはいけないようだ。
要するに他人のまねではないという作家独自の画境をわかりやすく示せないと、ひとは本当の評価をしてくれない。

私は、高校時代に美術の先生の作品に強烈な衝撃を受けて絵が好きになり、描くことやものを作ることを生涯の目標にしようと思ったことから、当然その先生から相当広範囲な影響を受けている。
先生の描く姿を横目で見ながら色の調合やとき油の選択法を盗み、キャンバスを張り春休みの間に学校に先生を訪ねて授業で放置された他の生徒のキャンバスをタダで貰いに行った。
高校生の頃はそれでも若かったから、自分のスタイルを模索するのに夢中でわざと色も描き方も先生と違った方向に進みずいぶんと年寄り臭い渋い色遣いを意識して取り入れたものだ。

幸か不幸か、特美には受からなかったから、人生の自由度は高まりひとの役に立ちそうな仕事を生業にしたが、絵の道具を幾度もの引っ越しの間中離さなかった所からも分かるように将来絵を描くことをライフワークにしようと考えていた。

30過ぎに今の職場に転勤になり朝出かけて夕方には戻るというサラリーマン生活が出来るようになると、絵を描くためにアトリエとして使える部屋のある一軒家を借りた。実に十数年ぶりにキャンバスを張り絵の具を溶きイーゼルを用いて油彩に戻ったのだが、ブランクを速く埋めるためには師匠のお手本を模して描くことが近道だった。

ブルーやバーミリオンの線描を施して厚いマチエールの上にさらに線描を加えるという基本的なスタイルは師匠の模倣である。
その模倣を5、6年続け、ようやく50号くらいまでなら自分の絵が描けそうになったときに思わぬ公職につく羽目になり、ふたたびの中断を余儀なくされた。
その間はデザインや出版編集の分野での出番を発揮できたため、鬱々としながらもそれなりに新鮮な経験を積んだから無駄とは思わないが絵から真剣に離れてしまうのではないかというあきらめともつかぬ心境になった。
本当の意味で油彩に復帰したのは2004年だから今年でわずか3年である。
最初の2年は色も描法も師匠の物真似。
といっても、そう簡単にコピーできるほど単純ではない。第一に自分は不器用だ。
画面の端から端まで一直線に線描を描けるにはおそらく向こう20年はかかるだろう。そのころにはまあ自分なりに絵の解釈が出来て一言くらいは発言しても誰からも批判されないほどの境地になれることを目指している。

しかし、オリジナルという観点からするともう自分では純粋な意味でのオリジナルを描くという言い方はやめようと思い始めている。
色にしても画面作りにしても最早師匠と自分の関係を切り離すことは不可能なところまで来てしまった。治らないのである。やめるつもりもない。
開き直りと言うことではないが、他人からとやかく言われることにびくびくしていると自分の思う絵を描けないばかりか、自分というものを見失い自分であって他人の絵の上澄みを混色しているに過ぎないみじめな心情ばかりが想像されるのだ。

自分が清澄だと思う色、自分が美しいと思う描法、自分が求めている画面世界を描くことが結局は、ひとに自分という形を示すことができる一番誠実な方法ではないかと思っている。
それのどこがいけないと評者が言えるのだろうか。

不器用で頑固な絵であっても、気分や流行に惑わされず少なくとも邪心のない澄んだ画境で絵という自分にとっての何かを作ることが出来るとすればそれだけで幸せだと思っている。
見かけの心地良い評価よりも自分の満足や自信を獲得する方が人生にとって大事なことだと当たり前だが最近つくづく思う。
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by kotendesky | 2007-08-13 16:10 | (七転八倒)制作記!


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