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2007年 06月 24日

野田弘志講演会

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近美の講堂に行く。
立ち見必至の予想が的中した。13:30の開場とともに私たちを含め30人くらいが
席を埋め始める。
どんどん聴衆が席を埋め、14:00の開演5分前には空席が無くなり、補助席を出す。
近美の用意したレジメも不足する。
やはり野田氏のファンは北海道でも少しずつ増えてきている証拠だ。
是非学生向けに講演をしてもらいたいものだと思う。



リアリズムとは
存在のすごみを
人生を込めて視(み)ることによって、たくましく力強く描くこと。
描ききったとき、崇高、壮大が現れるのだという。
特に神聖、崇高な空間が現れるのだとも言う。
リンゴを描ききったとき画面にあるリンゴの図は絵ではなくリンゴそのものに高まってくる。
絵の具ではなくリンゴそのものの色になっているのだと力説した。

偶然を排し、飽くなき厳密さを求め思索を放棄し創作を放棄して崇高壮大を
暗示するのではなく現実の画面に描き切ることがリアリズムの本質なのだ。

現代美術に対しては厳しい。
個性主義
ショックやスキャンダラスな行為に依って新しいことしか考えないから衰退して行くのだ。
作品から精神が登ってこないとする。

写実に対しての考えは参考になったが、野田絵画の最大の特徴である
徹底した下地処理、言い換えればマチエールのこだわりが重厚で壮大な
作品の源になっているという事実は非常に参考になった。

私は来年まで長い準備期間がある。
しばらくは下地処理の試行錯誤をしてみようと思っている。

今回の個展をみて感じたことだが、以前の記事でも触れたが
tokijikuシリーズの後Theシリーズに移行したのだが、全体を通してみると
そのシリーズだけがふっと薄く感じられた。
これは私の感じ方だけでなく、他の作家の幾人かも同じ意見だった。
野田氏は『Theシリーズは全部まだ未完』という。
多分に謙遜を含んでいるが、その言葉に作品に寄せるすごみというか
制作態度の片鱗に触れる思いがした。
作家たる者こういう気構えを持ちたいものだ。
これも以前の私の記事でも触れたが、野田氏の作品を観て
なぜこうも心が平穏でいられるのかという不思議な感覚になるが
これを私は『仏像の拝観のあとの感覚』 (6月12日の記事)
とまとめたが、これも『現実を超えた崇高、壮大が現れる』という
言葉にやはりという気がした。

権威、大家という地位になってしまうと、ともすれば堕落しやすく
自己満足に陥りやすいが、作品の完成に何年も掛けるという
考えや、一度評価を受けた作品でも手直しすることをやめない勇気を
失わないようにしたいと思う。
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by kotendesky | 2007-06-24 02:18 | ギャラリー放浪記


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