2006年 10月 29日

高校履修漏れは大問題か

とにかく、ヒステリックと言う指摘が出来るほどすごい書き方だ。
高校での必修科目履修漏れだが、それほど重大な問題だろうか。
高校卒業と言っても、千差万別だ。
一流校を卒業した者もいれば、分数計算も出来ない高校卒業生もいる。
受験校が、予備校まがいの受験授業を密かに行っていたので問題だとするのは、それはそれで正論だが、かといってこの時期に貴重な時間を浪費するに等しい追加授業を課すのも酷ではないだろうか。
確かに一流高校の授業運営も落ちたものだとは言える。昔の高校では絶対にあり得ないことだが、残念なことに、今の世の中は大なり小なりずるい人間たちが幅をきかせている。少し要領の良い受験校なら今頃素知らぬ顔をして世界史をさらっとなぞっただけで履修したと言い張っているだろう。どちらにせよ中途半端なものだ。

高校の授業は確かにバランスが重要だが、人生に於いて必修科目漏れを抱えていたとしても理科系大学では学生の資質にそれほど重大な影響を与えると言うことではない。
必要ならいつでも勉強できるではないか。
形だけ世界史や倫理をなぞっただけで、人生にプラスになっているかどうかはかなり怪しい。

自分の経験では昔から形だけ退屈な授業を受けていても、柔らかい青春時代の頭には自然に染みこんでいると言うことは言える。ほとんど眠って聞いていた世界史や倫理の内容も有る程度そらんじている事も事実だ。しかしそれが絶対不可侵なものかというとそうとばかりもいえない。履修しているに越したことはないが履修しなかったことで決定的に劣っているとするのは間違いだ。

大学を卒業しても、全く別の分野を学ぶという人は非常に多くいる。ゼロから世界史や近現代史を学ぶ人も多い。数学が哲学だという学び方をやり直す人も多くいる。

第一に芸術科目を2年間履修しても絵も描けない、楽器も弾けない、書道も鑑賞できないという人間はかなり多くいる。これらの教養を身につけていない人がほとんどだ。
柔道や剣道や相撲のうち一つを格技として一年間習ってきたが、いまだに習った柔道の奥深さは興味があるがそれとて剣道でも相撲でも良かったと思っている。要は興味を持つに至るだけの境地に達したかあるいは礼節や逆境での剛健さなどを身につけたかということだろう。そういうことなら別の指導方法もある。

高校で学ぶことは人生のきわめて狭い範囲のことに過ぎない。卒業した後に自分はこうした分野を学んでいないという気持ちを持ち続け、人生のどこかでそれらを独学するか否かを決められる素養を身につけているかと言うことが重要なことだ。高校を卒業すると言うことはそうした見極めを出来る人間かどうかと言うことだ。そうした本質的な事を学ばせないで卒業させることの方が弊害は大きい。

しかし、この国の高等教育が幼児化しているという指摘はしておく。
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by kotendesky | 2006-10-29 00:52 | 冗舌亭日乗


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