2006年 10月 17日

子供への愛

どんな親でも自分の子供はかわいい。
まっすぐに健康に育ってほしい。出来れば人より成績が良く皆に尊敬される様になってほしいと思う。
だから、躾をするし時には頭を殴るほど怒るものだ。
それでも、子供は親が好きだし親はそれを上回る愛情を注ぐ。

子供を育てると言うことは自分を高めることでもある。だからそれぞれの親は真剣に子育てに悩む。悩むことで親も成長する。
親子の関係は人には言えない恥ずかしい部分も多い。美しく幸せな事ばかりでもない。そんな恥ずかしい部分を信頼できる誰かに相談できる人は、今の世の中では幸せなのかも知れない。
しかし、成長した親経験者と成長中の『親現役』の交流が希薄になって来ると相談相手は身近な他人になってしまう。
この場合他人とは学校の教師である場合もあるし会社の同僚である場合もある。

子育てはお手本があるようで究極には百人百様だ。局面局面で判断するしか毎日が進まない。
子供を育てると言うことは『子供を育てる大人になること』でもある。子供は小さな大人ではないから大人の論理ばかりでも通じないがほとんどの対処は大人の論理で構わない。
絶対に犯させない部分を持っている親は必ず子供に尊敬されるだろう。

他人の痛みを感じない大人は子供にもそうした思いやりの心を伝えることは出来ないだろう。
小学生の高学年から中学生になると子供は精神と肉体のアンバランスに悩み苦しむ。さらに厳しい競争社会にさらされる大部分の中学生はそのストレスは昔の比ではない。そのような時にその自然な反抗心やギャング性を見ようとしないで対処を曖昧にしているとやがてはボタンの掛け違いが大きな影響を及ぼす。

学校の成績や学問と同時に人間的な真の成長も大切なものの一つだ。人間という存在を決定するのは色々の局面に対して確固とした信念を持っているのかと言うことではないだろうか。自分の能力ではどうにもならない悔しさや他人の良い面を素直に認めるという人間として基本の感覚を磨かなければそうした信念は獲得できない。自分の気持ちを相手に上手く伝えられないもどかしさを感じなければ相手もそうだという事に気づかずに過ぎる。そこに人間の知恵へ結びつく経験を積み重ねることはとても重要なことだ。

一部の大人社会が倫理を崩壊させ、優勝劣敗のような見にくい側面ばかりを見せるのはいつの世でも仕方のないことだが、そのすさんだ姿を見て『こうではいけないんだよな』という気持ちを普通の大人が少しでも抱かなければその社会は本当に崩壊してしまうのではないかと思う。
その時に自分の子供への愛ばかりを強調しても遅きに失するのではないだろうか。

案外今の世の中はそうかも知れないが、それでも子供の躾はテレビのコメンテーターが短時間で一言にまとめられるような単純なものではないし複雑だからこそ親や教師や当然の事ながら子供も悩み続けるものだ。
悩むことによって複雑で解決法のない人間成長への知恵が、子供自身の身に付くものではないだろうか。

多様であり抽象論しか提示できないはずのものを、あえて短時間で少しのキーワードで括るというテレビの怖さを視聴者は覚えておくべきだ。
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by kotendesky | 2006-10-17 00:59 | 冗舌亭日乗


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