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2006年 09月 03日

夕張へ…(1)

f0019379_249471.jpg 夕張市美術館での『ヤマのグラフィック…炭鉱画家の鉱脈展』(9月8日月曜日まで)と題された企画展が開かれることを知って、私には心に密かに期することがあった。

私自身79年から81年まですでに斜陽の街と言われて久しかったこの炭鉱街の、とある病院に赴任したことがあり、そこでの経験が地域医療の様々な問題点を把握するスタートにもなった。
私にとって夕張をはじめとする炭鉱は自分の心の故郷のようなものでもある。
夕張は深い山の中にあるY字型の街である。現在の本町地区とは反対の南部というところに私の病院はあった。かつてはその先の鹿島というところにあった炭坑が閉山して同所に移転してからちょうど10年目という時期だった。

当時の私にとっては、新進の診療放射線技師として東京で学んだ最先端の早期胃ガン検診の腕を発揮するまたとないチャンスであった。実際にその機会に恵まれていなかった人々に3時間ドックを企画して実行に移すに当たり、M社の社有病院である慢性赤字の病院経営を立て直すためにもタイムリーな赴任であったことは自負している。
当時の胃ガンは発見が遅かった。まして北海道の田舎町の斜陽の病院で東京で行われて居ると同等の人間ドックを実施することは、過酷な炭坑労働を強いられている人々への恩恵であったことは間違いがなかったことと思う。
私の在任中、東大で開発され築地の国立がんセンターで完成されたバリウム検査である『胃二重造影法』は、診断の精度を飛躍的に高めた。
医師でない私は診断に踏み込むことは違法であるが、画像診断につながる詳細な関心部分の検査レポートを書くことは直ちに違法ではなかった。その方法はすでに東京では一部行われていたし現在はポピュラーな方法である。
医師は、その病変シェーマを用いて作成した検査レポートを参考に診断書を書き、疑わしい症例は北大などの総合病院に紹介するというシステムが出来かけた。
その期間で最大の成果は、同じ病院に勤務していた腹部外科を専門とする医師の早期診断を行って一命を取り留めたことからも言えると思う。名前は出さないが札幌の大学病院で度重なる検査を行っても発見できなかった胃ガンである。


その遙か前、私は小林英吉という画家の息子と札幌で知り合い、青春時代を共有した。やがて赤平にいた小林画伯は息子達の住む札幌に転居して親友のアパートの同じ階に何部屋かを借りて一家で住むということになった。
美大浪人中の私はたびたび夕食に誘われ奥様の美味しい手料理でもてなしてくれた。私はそうして小林英吉画伯の制作を目撃することになる。
画伯と奥様は末息子の友達の私に石膏デッサン用のカルトンとキャンソン木炭氏をセットでプレゼントしてくれるほど私をかわいがってくれた。
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上は小林英吉の『合奏』(1973年)である。小林は1910年に三笠市で生まれ1992年に札幌で亡くなっている。この絵の時代には群像をテーマに様々な傑作をものにし、一水会会員になり日展の常連作家であった。もちろん道展の古参会員であったし時代の要請もあり作品は右から左と売れていた。
『合奏』はカフェーとおぼしき室内の群像であるが、その後群像は野外のものとなり画面は明るい日差しのものに変わった。同じ年には『草原』(F100)と題された野外でアコーディオンに合わせてダンスを踊るロシア系の男女の姿となって第6回の『北海道秀作美術展』(道立美術館主催)に選抜されている。
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『草原』73年春季道展(73年第6回北海道秀作美術展図録より)


今回の夕張行きは、この小林英吉の傑作『草原』の所在を探す旅の始まりでもある。あいにく公休だった学芸員氏の連絡方法を受付で聞き、作品探しの糸口にしたいと考えた。
(つづく)

中山教道『空知最後のヤマ』(油彩)
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上村仙太郎『老牛』(日本画)
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白田良夫『黒い川』(油彩)
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畠山哲夫『ふるさとは雪』(油彩)
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小林政雄『夕張風景』(油彩)
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by kotendesky | 2006-09-03 03:15 | 小林英吉氏『草原』への旅


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