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2006年 05月 26日

本人評価額

 何でも鑑定団というテレビ番組がある。視聴者が持ち込んだ品物に金額の価値を付けようと言う趣旨の番組だ。たいていの場合所有者の「本人評価額」と鑑定士の値付けである「鑑定評価額」には大きな開きがある。本人評価額以上の場合は反響があるが、本人が思っている以下のとんでもないくせ者の場合は、そら見たことかという悲惨な結果になる。

 番組制作者や鑑定士と言われる古物商は何とか美術品の扱いに『教養的な価値』をつけようと必死の姿勢が伺えるが司会者の島田伸介が彼独特の嗅覚と表現で庶民のもっている古物商(骨董屋)への扱いに引きずり落とそうとする。所詮は『カネで買うてなんぼのもんやろ』という庶民の心の奥をうまくつかんでいる。その所作に嫌みがないから彼は天才なのだ。




 番組制作者や鑑定士の求める番組教養度を高めた評価すなわち出演する鑑定士たち自身の「本人評価額」と伸介が庶民の代弁者としてあぶり出す美術商への世間感覚の評価と言うものの乖離の滑稽さがこの番組の神髄であろう。一方は価値を認めていくらの値段というスタンスに対して庶民は値段が高いから価値がある、という風に見ている。

 個人の美術品収集はどんなに教養があると自負しようがしかもそれが本当にそうだとしても、世間は多くの場合骨董趣味のじいさんあるいは美術品収集の趣味の人としか見ないものだ。「そんなに高いのかい、この紙切れが」とか「この仏像がそーんなバカな」というのが本音である。評価額が高くても実際には安く取り引きされるのが美術品の世界で、公立美術館が不当に安く作品を買っていることからもそれは証明できる。

 作品が美術館買いあげになるときに、いわゆる美術年鑑の価格で買うことはまずない。
 作品としてのサイズは扱いの目安だろうが、本郷新の大阪中之島の群像彫刻であろうと片岡珠子の富士山の大作であろうと極端に言えば「予算は100万円しかない」と言われるようである。しかも、買い上げ以外に2点、3点と付録を付けることになることも多い。
 作家は美術館に永久所蔵される名誉から、幾分は仕方無しに可愛い傑作をおまけ付きで手放す事になる。

 しかし公立美術館の名誉を守るために書くが、作家が美術館に作品を手渡すのは多くの場合学芸員や学芸部長(学芸副館長)「個人」との信頼関係が前提である。いくらカネを積まれようが、田舎趣味の怪しげな美術館には作品を渡さない。そして正統派の美術館は本当は評価額を上げて良い作品には正当な代価を支払いたいのである。そう簡単には出来ない事情から収蔵作品には解説をつけて広報し国内外の博物館に周知する。自館の所蔵品カタログに掲載し作家の履歴や作品録データとして過去の貸し出しを含めた管理をする。作家の研究を深める場合もある。作品の評価にこれ以上のものは無いと私は考える。カネが全ての価値であるかのようなテレビ鑑定団とは大きく違うものだろう。

 しかし、世間と言うものは案外、本人評価額以下の扱いを受けることの方が多い。鑑定評価額すなわち世間の評価が極めて低すぎてズッコケル場合が多いことも事実である。
 美術の世界ではその道の人間には知られているが他の世界の人たちには名前はおろか顔も知られていないことも多い。私に湘南ベルマーレの選手の名前を挙げろととか、モーニング娘。のヒット曲名を言えと言われるのと同じだ。それほど難問ではなくとも、現役の青森県や秋田県の公募展会員の油彩、水彩作家名10人を言えと言われるのは難しい。

 よく、地方の名士で終わるなと言われるが、その地方の名士でもなれるだけましというものではなかろうか。一応公募展級の腕があり会員に推挙されれば地方の名士への道筋は出来るが、そこから「地方」が取れる文化人はまあ非常に希な存在だと思う。
 本人評価額を振り回し「けったいなオッサンやでマッタク。」というのが世間という厳しい鑑定評価額であり現実の姿なのだと思う。
 あまり過大な本人評価額を持たないようにしようと思うがしかし作家というものは、過大といえるほどの自己評価を持たないと作品制作のモチベーションを維持できないことも確かではある。
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by kotendesky | 2006-05-26 18:12 | 冗舌亭日乗


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