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2011年 09月 12日

死の町

まさに原発事故の周辺の町は死の町と言うにふさわしい光景だ。
建物は津波に流された地域は別にして、人だけがいない不思議な景色が広がっている。
町全体が『居抜き』なのである。
だから原発は怖いのだ。
西部劇でいうゴーストタウンは金鉱が掘り尽くされて人だけが居なくなった場合や先住民や
ギャングに襲撃されて死体が放置されている町を言うが
原発周辺の立ち入り禁止区域は文字通り『居抜き』の町なのだ。
表現として「死の町」という比喩が特段風変わりと言う風には感じられないのだが…
特に震災前の生き生きとしてひとが行き交う光景を知っているものにとっては…
だから原発城下で暮らすと言うことは怖いことなのだ。

例えば大夕張の30年前は死の町そのものだった。
建物がまだ壊されずにいたものだから夜は不気味だったものだ。
犯罪が横行しなかったのはひとえに地域に残った数少ない住民たちの努力による。
企業という城下で暮らすと言うことはそういった危険を覚悟することでもある

言葉というものが怖いものだと言うことは国会議員ならずとも新聞記者だって同じだ。
非常に重要な点を含む長い文脈から『死の町』に反応したものは、私からみれば記者失格である。
国民に知らせるべき重要な点を数多く忘れてしまって『死んだ町』だけに着目したのは
記者の才能のなさを国民に宣伝した行為としか見えない。

私は、すでに8ヶ月以上新聞の定期購読をやめているが、生活にも仕事にも一切の支障がない。(註)
教育に新聞をという文部科学省の政策があるが、今の新聞を子どもたちに読ませるのは
マスコミュニケーションを専攻した専門官が関与していないと少し危険だ。
何の批評知識も持たない子どもたちに新聞は正しいという誤った認識を植え付ける教育を
税金を使ってやる必要性がどれだけあるのだろうか。

それを行うくらいなら、インターネットで日本の報道と世界の報道のトップニュースを比較して
通信社の配信するニュースを日本のマスコミが選択する価値観の違い、もっと言えば世界の中で
日本という田舎国家がどれだけ特殊なのかをしっかりと教えるべきだろう。
世界中で全国新聞を定期購読して比較もせずに信用しているのは日本人くらい。
少し前までならそれでも何とか責任ある報道に接することが出来たが今はない。

少なくとも、子どもたちの成長に責任を持っている親世代の日本人はマスコミ情報という色つきの
フィルターから真実の色をより分けるくらいの気概を持ってほしいものだ。

なお、鉢呂議員の行為で問題なのは、防災服をなすりつけようとした行為の方がよっぽど
大きい。しかしこれとて日頃冗談を言い合っているあるいは時には報道禁止用語を用いて
会話をしている記者である。記者に仁義が無くなればこの国は正しいニュースを国民が得られる
機会を失ったということに等しい。

真実を知らないと気がつけば真珠湾攻撃が始まった教訓を忘れている。

註)土曜日の朝日新聞はスタンドで買うようにしている。これも「うたの旅人」という別刷りの記事を読むためである。
ついで
に本文の記事も読むが、大抵はクソ記事であり、これまで切り抜きに値したものは皆無である。

(9.12 夜一部追記)
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by kotendesky | 2011-09-12 03:30 | 冗舌亭日乗


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