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2010年 08月 09日

伊藤光悦「地平の光景」

2010年7月26日-8月15日  STVエントランスアート(STV北二条ビル1階)


伊藤光悦さんは、夕張市に生まれ栗沢町美流渡(みると)というところで育った。

夕張市本町の北側に国道をたどってゆくと旧万字炭礦、旧美流渡炭礦の跡地に残る町に出る。
かつて筆者は南大夕張という炭礦病院に勤めたことがあり、そのときすでに閉山していた大夕張という町の旧市街を観て歩いたものである。
大夕張を北の方に山道をたどるとこんどは最終的に旧奔別炭礦、旧三笠炭礦さらに芦別に出る。
つまり、この一帯は空知炭田というたいへん大きなテリトリーの一角であるということになる。

伊藤光悦さんは美流渡という山深く美しい町で少年時代を送ったのだろう。
何年か前の道展図録に山川真一さんが美流渡の紅葉は視界のすべてが赤やピンクや黄色あるいは茶色になることを言い、遠くから紅葉を眺めるのとは違うという趣旨で書いておられた。
山川真一さんの数年前の作品を理解する上でこれは大きな要素である。
確かに炭山の晩秋はきわめて近いところにある。
徳丸滋さんも場面は違うが、日勝峠やニセコのそういった自然を別の切り口でもって表現する。


話が少しくそれたが、伊藤光悦さんはしばらく前まで、旧炭礦の施設を多く描いた。
その中に手術室を描いたものがあり、壁の片面が円形の珍しいものがあったが、おそらくそれは
大夕張病院の手術室から材を得たものと思われる。
あの病院は重厚で大きな建物であり、手術室も勤めていた医師などの職員もハイカラでモダンだったという。
そう、昔の大手の炭礦は札幌より文化の度合いが高く、札幌より教育水準が高く、給料も物価も高かったとい
う。小学校の一学年が十何クラスといえば、そこの校長がどれだけの見識を持った人物だったかは容易に
想像できよう。
少し近い例では筑波大学が出来た時のつくば市の変貌を思えばよい。小学生のIQ平均が120弱という
信じられないものだ。

あるいは、集合住宅の「過疎化」。
あるいは、飛行機の飛ばなくなった放棄されたような飛行場の滑走路。
あるいは、砂漠地帯での戦争を彷彿させるような光景。
あるいは、難民を想起させる人物。
あるいは、北方領土の光景。
あるいは、墜落して朽ちかけた飛行機。
あるいは、壊される危うい自然を象徴する鯨。

そういったものを意識して描きそうしてきわめて静かに警鐘を鳴らす。
そのスタートがもしかして巨大な産業であった炭礦というものの終焉を描くことで
人間社会の持っている流転という抗いがたい現実に目を向けてきたのではないだろうか。

こうして伊藤さんの航跡をたどってみると絵という手段でもって描いた現代のルポルタージュではないか
という気がする。
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by kotendesky | 2010-08-09 22:22 | ギャラリー放浪記


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