2006年 03月 16日

…のようなもの

絵を描いていると、ときどき「良い趣味ですね」と言われます。
たしかに今の私には趣味という程度の作品であるという評価は妥当なことだと思います。
しかし、『趣味かあ』という気持ちは正直に言えば確かにあります。
では、何だと言われると簡単には言えないもどかしさも感じます。

亡くなったロケット工学の第一人者糸川英夫博士は東大の教授であった方ですが、政府の各種の委員を勤められた碩学にとどまらず、研究の傍ら「クラシックバレエ」をステージを借り切って発表するほどの真剣さでありました。
しかし糸川先生は「バレエは趣味」と広言してはばかりませんでした。
そこが人生に於ける余裕というか多様な才能の持ち主というかそういう方だからこそ「趣味」と言い切れたのだと思います。

では、凡人の私は絵を趣味としているのだろうかと自問することがあります。一回だけ個展を開いたからと言って専門家とは思っていません。自分で言うことではありませんがもっと謙虚にとらえています。
でも、趣味という括りの中に自分の活動を規定するほど中途半端な気持ちで絵を発表しているつもりもありません。
公募展に出品し審査を通過すれば一応世間の評価は趣味から一歩抜けたような扱いになり、受賞すれば価格も決まります。このようになれば専門家という一人前の評価は与えられると今の私は思います。

では、公募展は絶対評価もしくは尺度でしょうか。
私は、必ずしもそうは思いません。

公募展などの美術(運動)を30年以上見てきた経験から、本格的に絵を描く前から作品の善し悪しは人よりは分かるつもりで居りました。
「なんでも鑑定団」というテレビ番組がありますが、テレビという狭い視野でも一目見ただけで本物か偽物か、高いか安いかは9割方当たります。それは美術作品というものが備えていなければならない要素がきちんと備わっているかどうかと言うことと、作品として美しいかという点が基本です。
模倣や折衷でない独創性、作品としての主張、新規性、技術、気力あるいは問題提起など時によって様々なアイテムを総合して美術の評価は固まります。
そういう尺度で自分の作品が世間的に見てどの位置にあるかは分かりますし、謙虚にならなければいけない理由でもあります。

一発だけ良い作品を描いても、継続して安定した力があるとは限りません。力とは繰り返し同じレベルの良いものが描けるかという事でもあります。作家の意図する主張が画面にきちんと約束通り表現できるかどうかと言うことでもあります。

多くの作家と接してくると、作家は実は不安な部分を抱えていることが分かります。作品を描いてもいつも十分自信があるわけでもありません。そのようなときに作家自身の唯一の味方になるのは冷静に美術作品という不確かな基準のものに評価という尺度を当てはめることが出来るかどうかではないでしょうか。

もう一つ重要なことは反復して作品を創り出すことと継続して発表し続けることです。作家の主張を観る人に提示し続けることこそが趣味と専門家の分かれ道であると思います。

そのような事を念頭に入れると、自分の位置は「趣味のようなもの」、「作品のようなもの」、「…のようなもの」という不安定なものであると言う結論に至ります。

堂々と「趣味です」と言えることはあるいは本当の自信であるのかも知れません。
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by kotendesky | 2006-03-16 23:50 | 冗舌亭日乗


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