2009年 09月 13日

栃内忠男さん死去

栃内忠男さんが9月10日に亡くなられた。ここ数年は独立美術などに窓をテーマにした作品を出品されていた。
不自由な片方の目を大事にされて優れた独特の半具象世界を永く追求された。最後は次第に失われゆく視力を自己の内面から世界を射抜くようなすごみある絵画だった。見事な最後の仕事である…

先週の初めだから多分9月8日頃だろう。必要があって机の上を整理した。積み重ねた書類から一枚のリーフレットを見つけた。前から探していた玄の会の開催告知である。
紹介に荒巻義雄さんが名文を寄せている。
少し長くなるが追悼の意味を込めて全文を掲載しておく。


『七人の侍たち』 
 

荒巻義雄 作家・札幌時計台ギャラリー代表

 

久しぶりに開いたファイルの中で、壁を背に一列に並んだ<玄の会>の"七人の侍"の
写真を見つけた。
写真は向かって左から、坂担道さん、栃内忠男さん、本田明二さん、伊東将夫さん、
亀山良雄さん、砂田友冶さん、小谷博貞さんで栃内さんを除くみなさんは、すでに鬼籍に入られた。いずれも、世代的には戦争体験者であり激動の戦後を生き抜いてきた大正生まれだが、
なんと男臭い人たちだろう。
<玄の会>の旗揚げは昭和52年10月4日。第一回展は53年10月23日から28日まで
札幌時計台ギャラリーで開催された。以来、昭和62年までに最初の予定通り10回行われた。
最初の年の平均年齢が60歳だったそうだから、まさに創造者としてもっとも充実した時代であり、この同志的な展覧会に多くの後進たちが影響された。
七人は明治と昭和に挟まれ、戦争の渦中にも放り込まれた割の悪い世代である。

しかし<玄の会>の玄は玄人の玄、また黒と北をも意味するのだ。
本郷新さんの命名だそうだが、うがって読み解けば、プロの自負心、戦争の暗さを喪す黒、
そして北方性を意味している。
十字構図の伊東さんからはグレーの美しさを教えられた。同時にこの色は、
絶望を超え浄化された魂の色でもある。
亀山さんの絵の秘密、そこには輸送船撃沈による漂流体験が意識下にある。
無残な死を直視した者だけが知る鎮魂の詩だ。
小谷さんもまた凍土の立棺に祈りを捧げながら、限りなく明晰な精神の色に近付く。
砂田さんは輪郭の画家だ。輪郭によって充実した人体が手をつなげば、強固な家族の絆となる。
栃内さんは年とともにますます造形の根源に迫り、存在の秘密を探すたびをつづける。
坂さんは決してロマンティシズムだけの作家ではない。
精神が魂の造形へ凝縮する存在の変成作用が感じられる。
本田さんもフォルムにこだわりつづけた。独特のリリシズムが決して甘くならない造形力の厳しさ。本田さんがほんとうに求めていたのは、彫刻本体ではなく、
彫刻が周囲へ及ぼす空間の変成作用、その四大の一つ、風であったように思われる。


みなさんが思索する作家であった。時代の重さを担いつつ、生き残った者たち、
逝ってしまった者たちへの祈り、そこから生き残った意味を問いつづけた人たちであった。
北海道の美術界に与えた<玄の会>の影響力は、極めて大きかったのである。
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(註:「玄の会Vol.11」は2004年5月25日~9月30日本田明二ギャラリーで開催)
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by kotendesky | 2009-09-13 23:01 | ギャラリー放浪記


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