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(ときどき)個展deスカイ!

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2009年 03月 22日

受験生の頃

昔の教育大学特美の試験

第一日
学科(国語、社会、理科、英語)だったと思う。数学はなかった。だから高校の選択クラス分けは私立文系で
女子がほとんどだった。
午後から実技。立体構成『円筒形のリズム感のある立体を作れ。ただし紙は切り離してはならない。』と
平面構成『5色以内で四角形5個を用い安定感のある平面構成をしなさい』。各二時間だった記憶がある。
一日目の帰りはすでに暗かった。

第二日
朝から水彩実技。
筆者の受験の時はそれまでの鉛筆淡彩が『課題(静物)の水彩画を描け。鉛筆淡彩ではない。』となった。
これは波紋を呼んだ。試験要領には『水彩』となっていたが
特別教科教員養成過程(音楽・美術)設置以来『鉛筆淡彩を描け』というのが試験問題だったのだ。
ほとんどの人は鉛筆デッサンを早めに終えて色を濃く付けるという戦法に出た。
筆者は透明水彩が得意だったのでセザンヌ風の画調で本格的に描いた。
試験監督役の学生が後ろで4,5人集まってしばらく見ていた。

午後は木炭デッサン。
体育館の入り口でバケツを持った高校の同期生が席順のクジを引かせていた。
ガンバッテネといわれて苦笑した。
4グループくらいに分かれて2列。課題は石膏が毎年ラボルトの頭部。木炭紙はMBMだが、質が悪い。
練習の時の方が良い紙だった。
木炭は自前で用意する。会場で芯抜き。
2時間でデッサンをするから、形が取れていなければ落第を覚悟しなければならない。
サツビ(札幌美術学園)では普段から表現より形だと言われた。
上手い人はいつもの80パーセントは出せていたと思う。
木炭紙が変わるだけで相当とまどう。
水彩もデッサンも会場から出なければ他の人の作品をチラッと見ることは自由。
目が疲れると他の作品を観て優越感や劣等感を受ける。
二日目は3時頃終わったと思う。

特美は定員30名で倍率は5,6倍。普通の教科は2,3倍だったと記憶しているから、特美は
道教大としては異様な難関である。
別に、定員2,3名の中学校美術もある。こちらは受験生が5,6人で学科試験に数学もある。
実技は平面構成とデッサン(石膏はその年によって違うらしい)。

特美の受験を経験して、良かったと思っている。その後の人生に於いて特美に挑戦したという事実が
折に触れて思い出される充実した時期だった。

注)
① 特美とは特別教科教員養成課程・美術の略。
  当時の道教大としては唯一、高校2級免許まで取れた。当時の教育大は普通、小学、中学1級免許まで。
② 立体構成は上記の他にたとえば一枚の紙から、ものを載せても壊れないような固い台を作れとか
  丸い形を作れと言う問題もある。大抵は紙は切り離してはならない。紙はケント紙。
  ボンドやカッターなどは自分で用意する。カッターマットは当時はベニヤ板。
③ 平面構成はポスターカラーを使う。水彩絵の具でも良いが結果は不利である。ポスターカラーをセットで
  持ち歩くとアタッシェケースくらいの大きさ。体力がないと試験中に手が震える。ポスターカラーはビン入り
④ 筆者はミゾ引きという隠し技を持っていたが、ほとんどの生徒はフリーハンドで直線を描いていた。
  ミゾ引きとはデザインの時、直線やエッジを描く方法。
⑥ デッサンの木炭紙はMBMとキャンソン紙がある。受験にはMBMがポピュラー。木炭は大抵ヤナギ。
  木炭の芯は針金などで抜いておく。したがって中空の木炭となる。芯抜きにはギターの弦を使うと木炭を
  折らずに上手く出来る。
⑦ デッサンの席はくじ引きで当日決まる。この運不運が合否に関わる。顔の真正面は不利。
  ラボルトの場合、左半分の顔を横から描く位置がベスト。
  一列目は計測に安定する低い椅子に座れるので有利。
  採点にはこの有利不利も一応考慮する。筆者は2列目の顔真正面。この頃からくじ運は悪い。
⑧ 合否はほとんどデッサンで決まると言われている。他の科目は個人差が出ないのが普通らしい。
  この時は水彩画も出来不出来があったと思う。

by kotendesky | 2009-03-22 00:23 | 冗舌亭日乗


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